中日春秋
2014年6月23日
 「誰かが私の服を見て『あら素敵(すてき)ね』って。でも、その場を去った時、別の言葉が後ろから聞こえたの。『なんてダサい服なの』」。へえ、こんな砕けたことをいう人だったかと耳を疑ったのは、そう語っていたのが、米前国務長官のヒラリー・クリントンさん(66)だったからである。現地十七日放送のテレビ番組に出演したヒラリーさんには「丸み」があった
▼鬼が高笑いするだろう。再来年の米大統領選挙の話である。ヒラリーさんはけむに巻くが、高い確率で出馬するだろう。「丸み」が証拠である
▼二〇〇八年の民主党指名候補選び。経験に乏しいオバマさんに負けた理由はいろいろ挙げられるが、大きかったのはヒラリーさんの「ライカビリティー」の弱さである
▼ライク(好む)にアビリティー(能力)を加えた造語で人としての魅力、好印象。人柄ともいえる。一緒にいて楽しそうかどうかである。ヒラリーさんにはしっかりした女性、高い能力という印象の一方、気位が高く、独善的で「人間味」に欠けるイメージが当時、定着していた
▼例の「丸み」。出馬をにらんだ戦略だろう。秋にはお孫さんも生まれる。「おばあちゃん」になる。嫌な言い方だが、これもライカビリティーにプラスになる
▼専門家によると好印象のコツは相手への共感という。なるほど。最近の日本の政治家が最も苦手とするところである。
中日春秋
2014年6月22日
 「曲がったことが大嫌い。牛の角なんか見るのも嫌。道を曲がる時なんか、泣きながら曲がっている」
▼落語の「井戸の茶碗(ちゃわん)」に出てくる清兵衛さん。清兵衛なら号泣するか。これほど曲がった話はない。東京都議会のやじ問題である
▼「やじ」とは呼べぬ。「やじ」には弁士を絶句させる正当性と鋭さ、そして「笑い」がなければならぬ。出産に悩む女性への支援について質問した女性議員に対する「結婚したらいいじゃないか」「産めないのか」は「やじ」ではない。悪意である。暴力である。これが、第一の曲がったことである
▼第二はこの人物が名乗り出ぬことである。発言に責任を持つことこそ最大の仕事といえる政治家が責任を負うどころか、逃げ隠れしている。ほとぼりが冷めるのを待っている。曲がっている
▼第三は暴言を制止する人間がいなかったこと。誰の発言か知っているのに、黙っている議員が恐らく存在する。「黙れ、愚か者」と誰も声を上げぬ。しがらみか、見て見ぬふりをしている。これが最も曲がっている。曲がったことを許さず、正しいと信じたことを主張する。命に代えても、主張する。そうでなければ政治家である意味も資格もない
▼「他人の赤ちゃんが嫌いだった。子犬さえ憎かった」。同級生の女性。授からなかった。その苦悩を暴言とそれに沈黙する人が笑っている。曲がっている。
中日春秋
2014年6月21日
 小学校で授業を取材していて目を見開かされたことがある。授業の課題は、小さな虫を観察し、なるべく詳細に描くこと。先生のひと言に、舌を巻いた。「この虫と同じ大きさの小人になったつもりで見て、描きましょう」。観察するということの基本を教わった気がした
▼東京に続き名古屋などで上映される映画『みつばちの大地』は、蜂と同じ大きさの小人の視点で、その世界を見たドキュメンタリーだ。小型ヘリコプターや内視鏡を駆使して撮影した鮮烈な映像は、蜂と共に働き飛んでいる気分にさせてくれる
▼ミツバチは飛び回り、花を受粉させることで世界の農業生産高の三分の一を支えている。一匹の蜂が生涯で集める蜂蜜は小さじ一杯に満たぬほど。九百グラムの蜂蜜のために群れは地球を三周するほどの距離を飛ぶというから、あの甘さの何と貴いことか
▼だが、そんな蜂たちの現在の労働現場はまるでブラック企業だ。米国の工業化した農業で受粉を担う蜂は、自然の生理を無視した働き方を強いられ、薬漬けにされ、外来の感染病におびやかされ、次々と大量死している
▼コスト競争で大規模化を追求してきた米国の養蜂家は映画の中で「蜂を思いやり世話する養蜂の魂を失った。ミツバチとの絆を失ってしまった」と苦悩を打ち明ける
▼ミツバチの大きさになって世界を眺めれば、その歪(ゆが)みもまた大きく見える。