中日春秋
2014年6月29日
 空想科学小説とはもはやいわぬか。SF。小説にせよ漫画にせよ、書かれた当時は荒唐無稽に思えたはずのSFはかなり正確に未来の形を予見してきたのではないか
▼ロボット、潜水艦、月ロケット、核爆弾。タイムマシンこそ実現しないが、SFの世界から現実になった新技術、未来予想は数知れぬ。かつての作家たちの空想力のすごさ
▼もちろん例外もある。藤子・F・不二雄さんが一九七四年に描いたSF短編の『間引き』。日本の人口が増えすぎ、食糧が不足している世界。配給制が導入され、人々は絶えずおなかをすかせている
▼藤子さんの予言は一面では正しい。世界の人口は約七十二億人。一日で約二十万人ずつ増えているという試算もある。地球全体では水と食糧が不足している
▼見誤ったのは日本では人口が増えなかったことである。それどころか急速に減っている。総務省によると一月一日現在、全国人口は一億二千八百四十三万人余。日本人は昨年に比べ約二十四万人減った。二〇五〇年には約九千七百万人にまで減る
▼作品では人口が増えすぎた結果、「異性愛、肉親愛、隣人愛、友情」が薄れ、人々は憎み、殺し合うことで人口を調整する。ならば人が減る現実の世界では「愛」や思いやりが増えてもよさそうだが、世間にそんな気配はない。待ち受けるのはSFの空想を超えた人も愛も足らぬ世界か。
中日春秋
2014年6月28日
 匂いには妙な力がある。ふとした匂いが、忘れていた情景を鮮やかに甦(よみがえ)らせる。そんな経験はないだろうか。生物の進化の歴史で、五感のうち最も早くから発達したのは嗅覚ともいわれる。嗅覚の神経は、発達した人間の脳の中でも、恐怖や不安、快楽といった情動を司(つかさど)る原始的な部分と強くつながっているという
▼この匂いの力を巧みに使っていたのが、ロンドンの帝国戦争博物館だ。そこには第一次世界大戦で繰り広げられた陰惨な塹壕(ざんごう)戦の原寸大模型があった。じとっとした不気味な闇でうずくまる兵士、爆音…
▼実によくできた展示だったが、何より生々しかったのが、異臭だ。ゴムが焼けるような匂いを漂わせることで、機械化された大規模殺戮(さつりく)戦の恐怖を追体験させていた
▼現実の戦場では、そこに腐臭も混じるはずだ。そんな匂いを思い浮かべながら、この詩を読むとどうだろう。<彼のからだはピンクで温かかった/今は青く冷たい/シラミに惜しまれる遺体><昨日は耳で鳴った/今日は軍帽の中で/明日は頭のなかで>。かの大戦を闘ったフランスの若者が日本文化の影響を受けて詠んだ俳句だ
▼いくら政治家が大義を掲げ、勇ましい音楽で送り出そうと、前線にあるのは弾が飛び交う音、うめき声、そして鼻をつく匂いだ
▼第一次大戦の口火が切られてから、きょうで百年。足元で戦争の匂いはしていないか。
中日春秋
2014年6月27日
 七十年前の夏、十九歳の外間守善(ほかましゅぜん)さんは、戦火の迫る沖縄から本土へ船で疎開する妹のために、心を込めて名札を書いた。「外間静子」と書かれた布を、十三歳の妹は黙って丁寧に服に縫い付けた
▼外間さんは妹を港まで送って行った。人いきれでむんむんする船倉の奥に場所を確保してやって、船を下りた。その船・対馬丸は一九四四年八月二十二日、鹿児島県悪石(あくせき)島沖で米潜水艦に撃沈され、千五百人近い命が海に沈んだ。うち半数余が子どもたちだった
▼それから二十年余たち、東京で沖縄戦の実態を伝える催しがあった時、皇太子ご夫妻の説明役を務めたのが、沖縄文化の研究者となっていた外間さんだった。冷静に客観的にと努めていたが、対馬丸遭難を説明していて心が乱れた
▼甦(よみがえ)った妹の記憶が外間さんの口を動かした。「私の妹静子も乗っておりました。帰りませんでした」。周囲はとにかく先へと進もうとしたが、ご夫妻はその場に立ちつくした。美智子さまはハンカチを握りしめて体を震わせていた…。一昨年に八十七歳で逝った外間さんが自伝『回想80年』に記した光景だ
▼対馬丸の子どもたちが生きていたら、八十歳前後。天皇皇后両陛下と同世代だ。ご夫妻はきょう初めて、那覇にある対馬丸の犠牲者慰霊塔に花を手向けられる
▼十三歳のまま眠る静子さんたちに、どんな思いを伝えられるのだろうか。