中日春秋
2014年7月5日
 <弁当たべるのが一番遅く/よその組の子ものぞきに来たので有名な/あのきみこちゃんが先生になったって…>。詩人・阪田寛夫さんの「せんせいについて」だ
▼きみこちゃんは、どんな先生になったのか。<給食の時間に食べ終われない生徒に/最後までつきあって励ますのがきみこ先生/いい先生だとほめると特別悲しい顔になり…>。きっと子どものことをいちずに思い、まだまだ自分にはできることがあるはずだと厳しく考える先生になったのだろう
▼気になる数字がある。国際機関が世界各国の教員を対象に実施した調査で、日本の先生の自己評価の低さが目立ったのだ。「生徒に勉強ができると自信を持たせることができるか」との問いに「できる」と答えた人が二割弱。国際平均は八割余だ
▼だが、調査によれば、日本の先生の向上意欲も実績も世界に誇れるものという。「謙虚さを重んじる国民性もあって、厳しく自己評価しすぎているのではないか」との分析もある
▼詩の続きは<…卒業式では一番先に泣きだすから/生徒の方が気づかって、みんなで守るのが/あれから四十年後のきみこ先生だって/じゃあむかしとおんなじね/よかった よかった>
▼自分に厳しくするのは大事だが、たまには自分を「よかった」とほめてほしい。先生たちの「できる」気持ちが、子どもの「できる」にもつながるはずだ。
中日春秋
2014年7月4日
 <パーマネントに火がついて/見る見るうちに禿(は)げ頭/禿げた頭に毛が三本/ああ、恥(はず)かしや恥かしや/パーマネントはやめましょう>。戦争中こんな囃(はや)し文句が流行した
▼「われら腕白(わんぱく)どもは隊伍(たいご)を組んで町を闊歩(かっぽ)しながら、パーマの麗人を立ち往生させ、ぐるぐる回りながらはやしたてた」。作家の半藤一利さんが『荷風さんの昭和』(ちくま文庫)の中で、書いている
▼時局柄、「婦女のちぢらし髪」は禁止。子どもは純粋だが、純粋とは一面、情けを知らぬ容赦のなさでもある。禁止のはずの「ちぢらし髪」をからかうことに、ためらいはなかっただろう
▼同級生へのいじめを見かねた小学校三年生の女の子が「いじめるなら、私をいじめろ」とかばった。三人の子は「いじめてもいいんだって」とかばう子をたたき、けがをさせた
▼いじめられた子を心配する。我(われ)先の時代にあってかばった女の子の優しさに手を合わせたくなる。その一方でいじめた三人が気掛かりである
▼「自分をいじめろ」の言葉を聞けば、大人なら感に打たれてひるむだろうが、相手は小三である。子どもの容赦のなさが出てしまったとはいえ、ひどい子とは思えぬし、思いたくもない。大人の尺度で測ってはならぬ。大切なのはこれから三人にどう教えてあげるか。「いまはひどくきまり悪く思っている」。半藤さんは囃し文句を反省している。
中日春秋
2014年7月3日
 これは国語の問題です。次の二つの短文を読み、問いに答えてください
▼<日本国民は、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(いかくまた)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する><この目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない>
▼これら二つの文の要約として最も適切なのは、次のうちどれか?(1)日本国民はもう戦争はしない。したがって軍隊は持たない。(2)戦争はしないが、他国が日本を攻撃した場合、国民の命を守るのは当然のこと。自衛のための必要最小限の組織は持ちうる。(3)他の国が攻撃された場合でも、それが日本にとって一大事だと政府が考えれば、戦いうる
▼どうだろう。文を素直に読めば、答えは(1)か。だが政府の長年の解釈は(2)だった。丸腰では心許(こころもと)ない。本当に最小限の自衛のための力の行使だけは許される-との姿勢であり、多くの国民もこの考えを受け入れてきた
▼しかし安倍政権は(3)が正解だと決めた。九条を何度読んでも、なぜそうなるかは分からない。素人だから分からないのではなく、政府の法の番人・内閣法制局の元長官ら玄人も「そう読むのは無理がある」と言う
▼九条は日本語で書かれているのに、その意味はますます分からなくなっている。言葉と論理が軽んぜられる。これは国語の危機でもある。