中日春秋
2014年7月15日
 十二歳。日本で言えば、小学六年生か中学一年生。まだ子どもだけれども、大人の入り口に足を踏み入れた。そんな年頃だろう
▼<じぶんじしんの/のうより/他人ののうの方が/わかりやすい/みんな/しんじられない/それは/じぶんが/しんじられないから>。これは『ぼくは12歳』(岡真史著、筑摩書房)に収められた「じぶん」という詩だ
▼幼虫が脱皮して成虫に変わるほどの、急激な変化。大人になることへの誇りと恐れ…。「じぶん」とは何かという問いに、自分の足元が崩れるような不安を覚えながら向き合っていく季節の始まりだろう
▼世界には、そういう大切な時期に、命を消耗品のように使われている子どもたちがいる。シリアでは少年らが武装勢力によって戦場に駆り出されていると、国際的な人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」が、先ごろまとめた報告書で告発した
▼極端なイスラム原理主義を掲げる武装勢力は、無料で勉強させてやると言って少年らを勧誘しては、軍事訓練をさせ、自爆テロの方法まで教えている。十二歳ぐらいの少年兵を治療したことがある医師は、こんな証言をしたという。「その子の仕事は、捕虜たちの看守役だったと聞いた。捕虜たちにムチを振るうのが、その少年の任務だったと」
▼<ひとり/ただくずれさるのを/まつだけ>。これも『ぼくは12歳』にある詩だ。
中日春秋
2014年7月14日
 梅雨空は変わらぬが、先週、台風8号が去った後、いよいよ気温が上がってきたか。近所の公園で今年初めて、蝉(せみ)の音を聞く。暦の上ではとうに夏だが、混じり気のない本物の夏が迫る
▼高校野球の予選が全国で始まっている。新聞で日本中で行われた、すべての試合に目を通していく。読んでいて気持ちが向かうのは、どうしたって負けた高校の方か
▼「23-0」「16-0」。まだ1回戦なので実力差が出てしまうのか。ひどい負け方に選手たちは何を感じたか。「夢なんて、かなわないじゃん」とつぶやいたか
▼「13-1」。ああ、このさほど強くもない高校は名門校を相手に1点を返している。やったの声。泣きながら、笑ったか。「4-3」や「9-8」。惜しい。数字を見て胸が痛くなる。出場辞退で不戦勝というのもある。「11-9」。十二日の熊本大会2回戦では八代東が昨年優勝の熊本工をコールド勝ち寸前まで追い込みながら逆転負けした。数字に嗚咽(おえつ)を聞く
▼梅雨も明け切らぬのに負けた選手の夏は終わる。新聞に小さく掲載される数字の羅列が雄弁なのは背景にある選手の思い、家族や友人の応援や気遣いを想像できるせいか
▼夢なんかかなうものか、と疲れた大人もあの数字に「何か」を思い出すものだ。大切なのは勝ち負けだけではないはずだ。近所の高校。今年もあっさりと敗れたが、練習を再開した。
中日春秋
2014年7月13日
 「コロガリ」「カセ」「カタキ」-。「日本侠客伝」「仁義なき戦い」などの笠原和夫さんが脚本の書き方を教える「シナリオ骨法十箇条」の一部。活劇用語が興味深い
▼「コロガリ」とは筋の転がし方。「カセ」は主人公が背負う宿命。「カタキ」は敵役や克服すべきもの。全部は紹介しきれぬが、十箇条をきちんと組み込めば、面白くなるという
▼もう一つ。「オタカラ」。何物にも替えがたい、守るべきものをいう。「丹下左膳」なら敵味方の間で行き来する「こけ猿(ざる)の壺(つぼ)」。大切なものが転々とすると話は面白くなる
▼「オタカラ」の効いたドラマをAP電で読んだ。昨秋、米オクラホマ州の農家の男性が携帯電話を大量の穀物の中に落としてしまい、行方が分からなくなった
▼電話はまず穀物ごとルイジアナ州へ運ばれた。そこから船で茨城県の鹿島港へ到着し、さらに北海道の製粉所へ。製粉所の職員が電話を発見し、関係者が落とし主を捜して最近、この男性の元へ戻った。約二万キロの旅
▼「奇跡」と現地紙は報じたが、落とし物を見つけたら困っているだろうな、届けたいなと考えるのが普通の日本人だろう。日本なら「奇跡ではないよ」といいたくなる。電話には娘の結婚式の写真が入っていて、困っていたそうだ。「オリン」も効いた話。十箇条でオリンとはバイオリンが転じて、感傷的な場面のことをいう。