中日春秋
2014年7月21日
 最近の入社式には親が子に同伴し出席したがると聞く。実際に親の出席を認めている企業も現れている
▼「過保護だ」と嘆く方もいらっしゃるが、少子化や一時期のひどい就職難と関係があるのか。ひっかかるところもあるが、入社式に出たがる親は子の将来を祝福したいのだろう
▼この人の場合、事情は異なる。両親、特にお母さんが「その道」を進むことに猛反対した。人間国宝が決まった柳家小三治さん(74)。師匠でやはり人間国宝になった五代目の小さん師匠が書いている
▼父親は教師で母親は武士の家系という堅い家。落語家なんてという両親は許さず、当時の小三治少年は落ち込んだ。「壁のほうへ向かってぼんやりすわっているんで、うちじゅう陰気でしょうがねえ。それで、こんどは両親も、もうしょうがないからってたのみにきたわけだ。おふくろはぽろぽろ涙を流して、おねがいいたしますって」(『芸談・食談・粋談』)
▼入門は、しぶしぶ認めたが、お母さんはその後も落語の道にいい顔をせず、亡くなるまで反対していたという。小三治さんは語っている。「母親をずっと責めてましたが、あたし責められないような気がこのごろします」
▼この道で成功したのは母親への意地もあったのか。それならお母さんには「人間国宝でも反対だよ」といっていただきたい。まだまだ芸の励みになるはずである。
中日春秋
2014年7月20日
 開催中の男子ゴルフの全英オープン。気になったのは手術復帰後のタイガー・ウッズでも松山、石川らの日本勢でもない。まったく無名の地元の選手だった
▼ジョン・シングルトンという。三十歳。応援したくなったのはその背景のせいである。開催地から車で十分ほどの工場。ここで、フルタイムで働いている。フォークリフトを運転している
▼ゴルフにはカネと時間がかかるものだが、余裕はない。仕事との両立。身重の婚約者との生活は楽ではない。まとまった練習は休日に限られる。クラブさえ満足に用意できないのか、出場権を得た予選会は友人からウエッジ二本を借りて出場した
▼全英オープンの初日の第一ホールのティーショット前、こらえ切れず、目を潤ませた。無理もない。想像もできなかったほどのギャラリーがこの地元選手を応援するために集まった
▼木曜日だったが、経営者は工場を休みにした上、入場券を従業員に配った。同僚、家族、パブの飲み仲間が声援する。彼の夢に自分の夢を重ねる
▼初日の78が影響して、残念ながら予選落ちとなったが、二日目の70は見事である。不調とはいえ、あのタイガーを七打も上回っている。最後の四ホールはバーディー、バーディー、パー、バーディー。聴衆の興奮が聞こえる。大会名の「オープン」。もちろん、「誰にでも開かれている」ということである。
中日春秋
2014年7月19日
 一九八三年の九月一日、ソ連空軍のオシポビッチ中佐は、愛児二人が通う学校の「平和の授業」で、スピーチをする予定だったという。だが彼がこの日実際に行ったのは、多くの人の平和を奪うことだった
▼緊急出撃した中佐は、サハリン上空で領空侵犯をしていた外国機をミサイルで仕留めるよう命じられ、実行した。日本人二十八人を含む二百六十九人が乗った大韓航空機は海の藻屑(もくず)と消えた。米ソ冷戦の最前線で起きた惨劇だ
▼ロシアと、欧米の支持を受けたウクライナの対立は、新冷戦と呼ばれる。その最前線で三十一年前の悪夢が、再現されてしまった。ウクライナ東部を飛行中のマレーシア航空機が墜落し、二百九十八人の命が散った。誰の仕業かは不明だが、旧ソ連製のミサイルで撃墜されたとみられている
▼<あなたたちの生きる喜びを一瞬のうちに奪いさったものたちは、いま全世界の人々から糾弾されています。事件の真相はかならず近い将来にあきらかにされるでしょう>。これは大韓航空機撃墜事件の死者を悼むため、宗谷岬に建立された「祈りの塔」の碑文だ
▼<わたしたちは あなたたちの犠牲を決して無駄にはさせません。わたしたちは 生命の尊さと武力のおろかさをひろく世界の人々に訴えていくことを誓います。愛(いと)しい人たちよ 安らかにお眠りください>
▼碑文は、そう結ばれているのだが。