中日春秋
2014年7月27日
 二十三歳で囲碁界の七大タイトルを制覇した天才棋士・井山裕太さんに、どんな夢を見るか尋ねたことがある
▼「碁の夢を見ることが多いのですが、見るのは、負けている碁の夢。もう(勝負を)投げようかとか、そういう対局の夢です」。抜群の強さを誇る棋士にして、見るのは追い詰められた夢。勝負の世界の厳しさとはそういうものかと思い知らされた
▼日本球界で前人未到の四百セーブを達成した中日ドラゴンズのリリーフエース、岩瀬仁紀投手もまた、夢に見るのは抑えた場面ではなく、打ち込まれた光景だという
▼「打たれた時は抑えた時より何十倍も考え込みます。その記憶がフラッシュバックとなって、何度も甦(よみがえ)ります。夢も見ます。打たれたそのマウンドに、心がずっと置かれているような恐ろしさです」
▼岩瀬投手が打たれて敗れた時の監督のひと言は決まっている。「岩瀬で負けたのなら、仕方がない」。信頼感と背中合わせの責任。四百の成功より、はるかに少ない失敗を反すうしてきたからこその大記録達成だろう
▼完全試合をしていた先発投手を継投し、日本一の胴上げ投手にもなった。胃を締め上げられるような重圧と闘い続けて十年余。「正直、気持ちを保つのは難しくなってきている」と心中を吐露しつつ、「こうなれば、一千試合登板を目指します」と語ってくれた。無論これも前人未到だ。
中日春秋
2014年7月26日
 <わかってる?/あんたのなかにあたしがいるって/あたしにくちをきかないのは/あたしをみないでそっぽをむくのは/あたしをごみみたいにおもってるのは/あんたのなかにあたしがいるから…>
▼谷川俊太郎さんの「あんたのなかのあたし」だ。谷川さんは小学生のころ、いじめに遭ったという。そんな詩人の作品と、子どもたちの詩を集めた『いじめっこいじめられっこ』(童話屋)が出版された
▼この詩集を編んだ田中和雄さんは、小学校で「詩の授業」をしてみて驚いた。父母でも先生でもないせいか、じっと耳を傾けていると、子どもたちは驚くほど正直にいじめについて話す。話しただけで表情が変わる
▼いじめられる子だけでなく、いじめる子、そしてそれを見ている子。自由に詩に書かせれば、自分の胸の中を見つめた言葉が紡ぎ出される。例えば小学五年生の詩。<ブツブツ/ボソボソッ/クスクス/かげで言ったり/言われたり/心の中にいる/もう一人の自分がこわい>
▼あるいは小学四年の男の子の詩。<人を泣かせた/いい気ぶんだった/でも少したつと/心配になった/しかし/いい気ぶんは忘れられない/次の日もいじめにいく/もう自分はとめられない/ぼくの心の中で/うずくまっている/君がいる>
▼「ぼくのなかのきみ」と「あんたのなかのあたし」。言葉には、それをつなぐ力がある。
中日春秋
2014年7月25日
 日本では「壁に耳あり、障子に目あり」と言うが、ロシアには、同じ意味のこんなことわざがあるそうだ。「森が見、野原が聞く」。さすがは大平原と森の国だ
▼ウクライナ東部の野原にも、ちゃんと秘事悪事を見逃さぬ目と耳はあるのだろう。だが、乗員乗客二百九十八人を乗せたマレーシア航空機の墜落現場から届く目撃談は、耳をふさぎたくなるようなものばかりだ。現地を支配下に置く親ロシア派の武装勢力のメンバーらは、遺品から携帯電話など金目のものを盗んだという
▼現地入りした調査団が、重要な証拠である機体の破片が不自然に切り取られたような形跡を見つけたとも伝えられる。撃墜したミサイルの破片でも、めり込んでいたのか
▼ロシアには「泥棒の帽子が燃えている」との言葉もあるという。人混みに紛れ込んだ泥棒が、だれかの「泥棒の帽子が燃えているぞ!」との叫びで、思わず帽子に手をやり、しっぽを出す。「隠すより現る」との意味だそうだ。かの地で「泥棒の…」と叫べば、さてどうなることか(八島雅彦編著『ロシア語名言・名句・ことわざ辞典』)
▼「ロシアには二つの災いがある。下には闇の権力が、上には権力の闇が」。これもかの国の警句。ウクライナで蠢(うごめ)く謎の武装勢力に、その背後のロシアの権力…
▼ロシアの民自らがその闇に目をこらさねば、災いは繰り返されるだろう。