中日春秋
2014年7月30日
 世間に文句ばかりいっている当コラムも、さすがに夏の盛りには暑苦しいかもしれない。きょうはちょっと趣向を変えて一通の手紙を紹介したい
▼神奈川県秦野市の後藤ヤヨ子さんという七十一歳の女性からいただいた。幼き日のアイスキャンディーの記憶について、したためていらっしゃる
▼後藤さんは子どもの時、呼吸器関係が弱かったそうで病院通いをしていた。治療費に充てるため、バス代を節約し、遠い道程をお母さんが後藤さんをおぶって通っていたという
▼夏の炎天下の道。子を背にした母親が汗だくになって歩く姿を想像していただきたい。途中、お母さんが後藤さんにアイスキャンディーを一本買ってくれた。一本きり。幼いながらも、後藤さんはお母さんのことが気になって、「母ちゃんも半分、食べてもいいよ」と差し出したそうだ。「母ちゃんの方が暑いじゃろ」
▼「そうかい」。お母さんはそういって、アイスキャンディーを口元へ持っていった。ところがお母さんは一口も食べていなかった。それが子どもの目にも分かった。食べたふりだけ。食べないで後藤さんの手に返した
▼一本きりの氷菓が母と子の間を往復する。短い言葉の中に込められた、母への気持ち、子への思い。「この日の母の姿が私を勇気づけた。あの思い出があるから体を大切に生きていられる」。その手紙はそう結んであった。
中日春秋
2014年7月29日
 炎暑の最中には、したくもない想像だが、大昔、太陽は二つあったという。灼熱(しゃくねつ)に人々が苦しむ姿を見かね、太陽の一つが一計を案じた
▼水浴びをしようと誘い出し、川に飛び込むふりをすると、もう一つの太陽は、そそっかしいのか、それにつられるようにザブン。水浴びをしたためにすっかり冷えてしまって月となり、太陽は一つだけになった。赤道直下のコンゴに伝わる昔話である(『世界神話事典』角川学芸出版)
▼四十六億年前に誕生した時は火の玉だった月は二億年ほどで冷え、火山活動も十億年ほど前には終わっていたと考えられてきた。しかし実は、月はまだまだ冷えきってはいないようだという
▼月の引力が地球の潮の満ち引きを起こすように、地球の力で月もその形を微妙に変える。中国地質大学の研究員・原田雄司さん(35)らが、月周回衛星「かぐや」などでそれを精密計測した結果を調べて計算したところ、月の奥底に軟らかい層があり、地球の引力で熱を生じていることが分かったそうだ
▼その温度は千数百度とも推定される。すっかり死んだと思われていた月が、地球が及ぼす力で温められ続け、生を保っているようだとの最新の発見である
▼<吾妻かの三日月ほどの吾子胎(やど)すか>は、中村草田男が妻の妊娠を知った感動を詠んだ句だという。三日月もその奥に、あたたかな脈動を抱き続けているのか。
中日春秋
2014年7月28日
 打ち上げ花火の掛け声といえば、玉屋に鍵屋ということになる。花火大会の季節である
▼花火の掛け声というのは難しい。打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという
▼<橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情(じょう)なし>。花火商では玉屋、鍵屋の二軒が有名だったが、江戸の人がほめる掛け声は玉屋ばかりだったそうだ。古い川柳の<玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい>。それほど玉屋びいきが目立っていた
▼「江戸東京地名辞典」(講談社学術文庫)によると、鍵屋弥兵衛の鍵屋は江戸花火商の元祖で、その六代目の時、番頭だった人物が独立してできたのが玉屋なのだという
▼気の毒に玉屋は天保十四(一八四三)年、自火を出し、罪に問われてつぶれてしまった。玉屋への掛け声は、弱い者に心情を寄せる江戸っ子が玉屋の悲劇を思ってのことかもしれぬ
▼判官びいきは日本人の美徳の一つと信じるが、当世は政治、社会そして学校でも弱きが助けられるどころか、くじかれてはいまいか。鍵屋には悪いが、闇に輝く花火には、やはり「玉屋」と大きな声を掛けたい。