中日春秋
2014年8月2日
 <とりかえしつかないことの第一歩/名付ければ/その名になる/おまえ>。俵万智さんの歌集『生まれてバンザイ』に収められた歌だ。確かに、子どもの名前を決めるということは、その子と後戻りのきかぬ人生を共に歩み始める、そういう覚悟の一歩でもある
▼パレスチナのガザに住むミルファトさんは、待望の初孫をシャイマちゃんと名付けた。ミルファトさんの娘さんは先月二十五日、イスラエル軍の攻撃で重傷を負い、病院に運ばれる途中で死亡が確認された。妊娠八カ月だった
▼医師は、息絶えた母の体から帝王切開で赤ちゃんを取り上げた。「娘は死にましたが、また娘を授かった。この子は私の娘として育てます」。ミルファトさんはそう言って、赤ちゃんに娘と同じ名前を付けたそうだ
▼しかし「奇跡の赤ちゃん」と呼ばれたシャイマちゃんも、おととい逝ってしまった。わずか一週間の人生。その名は、母子の悲しい墓標になってしまった
▼イスラエル軍の攻撃で既に千五百もの命が散ったという。国連が避難者に開放した学校も攻撃され、そこで眠っていた子どもも犠牲になった
▼<バンザイの姿勢で/眠りいる吾子(あこ)よ/そうだバンザイ/生まれてバンザイ>。これも俵さんの歌。国連の潘基文(バンキムン)事務総長は、イスラエルの攻撃を「眠っている子どもを攻撃することほど、恥ずべきことはない」と非難している。
中日春秋
2014年8月1日
 作業現場で大切なのは、KYだそうだ。「空気が読めない」「空気を読め」の略ではなく、「危険予知」の略語だ
▼四十年前に鉄鋼メーカーが使い始め、労災を防ぐ合言葉としてさまざまな現場に広まったという。作業に入る前に潜む危険を洗い出し、皆で共有して対策をとる。それがKY。こんな標語もある。<KYで 見えぬ危険が見えてくる!>
▼汚染との苦闘が続く福島第一原発でも、作業員にKYの徹底を呼び掛けるポスターが掲げられているそうだが、東京電力経営陣のKYは、どうであったのか
▼検察審査会は、未曽有の原発事故をめぐり、検察が東電元幹部らを不起訴にしたのは不当だと決めた。大津波が襲来すれば炉心損傷を招く危険があることを予(あらかじ)め知っていたのに、対策をとらなかった。責任を裁判で問うべきだ-との判断である
▼検審の議決書は指摘する。「安全に対するリスクが示されても、単なる数値と見るだけで、実際には発生しないだろう、原発は大丈夫だろうというような曖昧模糊(あいまいもこ)とした雰囲気が存在していたのではないか」「安全神話の中にいたからということで、責任を免れることはできない」
▼危険予知のKYではなく、原子力ムラの中の「とにかく安全神話は守らねば」という空気を読むKY。東電幹部が胸中に掲げていた標語は、<KYで 見える危険も見えぬふり!>だったのか。
中日春秋
2014年7月31日
 その時、上空から見た地上の光景は「黒く、煮えたぎったタールのようだった」という。一九四五年八月六日朝、人類初の原子爆弾を投下した直後、爆撃機エノラ・ゲイから目撃した広島の姿を搭乗員の一人バンカーク氏はそう表現した
▼街が「煮えたぎったタール」になって三日目、自宅の焼け跡に呆然(ぼうぜん)と立った時の思いを詩人・大平数子さんは綴(つづ)った。<めぐりめぐってたずねあてたら/まだ灰があつうて/やかんをひろうてもどりました/でこぼこのやかんになっておりました>
▼<“やかんよ/きかしてくれ/親しい人の消息を”/やかんが/かわゆうて/むしょうに むしょうに/さすっておりました>。原爆で家族を奪われた大平さんはこうも書いた。<子どもたちよ/あなたは知っているでしょう/正義ということを/正義とは/つるぎをぬくことでないことを>(『原爆詩一八一人集』)
▼米国にとり原爆は「早期終戦を実現するために抜いた正義の剣」だった。エノラ・ゲイ搭乗員の最後の生存者で、先日、九十三歳で逝ったバンカーク氏もそう言い続けてきた
▼彼はこんな言葉も口にしていたという。「戦争も原爆も、何も解決はしない。核兵器が全廃されるのを見たいとも思う。だが誰かが核兵器を一発持つのであれば、僕は敵より一発でも多く持ちたい」
▼そうして今も世界には一万発以上の核弾頭がある。