2014年8月8日
中日春秋
 電話で話された最初の言葉は発明した米国人グラハム・ベルが助手に話し掛けた「ワトスン君、ちょっと来てくれないか」という英語のひと言だった。一八七六(明治九)年のことである
▼驚くべきことに、この世界を変える発明品で最初に話された英語以外の言葉は日本語だという。お披露目からそう日を置かずベルの実験室を訪ねた日本人留学生が、驚きのあまり発した言葉だったそうだ(松田裕之著『明治電信電話ものがたり』)
▼米国ですら電話の持つ可能性には疑問の声が強かったのに、発明の翌年には世界に先駆け日本に電話機が輸入され、すぐ模造の国産品が造られたというから、明治の人の吸収力はすさまじい
▼もっとも電話の普及はすんなりは進まなかった。高い電話料も壁だったが、こんな噂(うわさ)が広がったのだ。「遠くの声がこんなに伝わるなら、伝染病も伝わるはず」。当時流行していたコレラが伝染するのではないかとの心配だ
▼ドタバタ喜劇のような話だが、今この国では電話をめぐる悲劇が繰り返される。警察庁によると、お年寄りらに電話し現金をだまし取る「ニセ電話詐欺」の被害が過去最悪の様相を見せている。ことし上半期の被害額は二百六十八億円余で被害者は六千人を超えたという
▼「電話線で伝染」は滑稽な昔話だが、電話は危険も運んでくる…と明治人のように警戒する方がよさそうだ。
2014年8月7日
中日春秋
 東京・銀座あたりの深夜のバー。二人の男が小声で話している。「殺す」「いや、殺さない方がいいんじゃないか」。小耳にはさんだバーテンダーは青くなった
▼物騒な話をしていたのは、作家の梶原一騎さんと漫画家ちばてつやさんの二人。一九七〇年ごろの話で当時連載中のボクシング漫画「あしたのジョー」の展開を検討していた
▼殺すか殺すまいかとはジョーのライバル力石徹のこと。結局二人は過酷な減量、ジョーとの死闘の結果、力石を死亡させることにした
▼アニメ版「あしたのジョー」で力石徹の声を演じた仲村秀生さんが亡くなった。ジョーを倒し、「おわった…。なにもかも…」とつぶやく力石の声、仲村さんの声が耳に甦(よみがえ)る。仲村さんが演じた、「宇宙戦艦ヤマト」の島大介、「ど根性ガエル」の南先生。いい年をしてと叱られそうだが、わが身を含めて五十歳前後にはその名が堪(たま)らなく懐かしい日もある
▼五十代はどうも苦しい。体力気力が落ちているのが分かる。自分の限界も見える。子どもの時、夢見た人生はこんなものだったか
▼五十二歳の学者が自ら命を絶った。込み入った事情はともかく、志半ばの五十二歳の死が同じ世代としてやりきれない。「燃えかすなんかのこりやしない」。力石の亡き後も「まっ白な灰になる」まで闘ったジョーの物語。その人は子どもの時、読んでいただろうか。
2014年8月6日
中日春秋
 <私の太股(ふともも)から取り出されたガラスのかけらは/あと 幾つか残されたまま/瞬間に失った八月のあの日を/ガラスの裏面に焼き付けている…>。広島市に住む上田由美子さんの詩「ガラスのかけら」だ(『原爆詩一八一人集』コールサック社)
▼七十六歳の上田さんは七歳の時、あの夏を迎えた。原爆投下から四日目、母に連れられ呉から広島市内に入った。まだ街には熱がこもり、水膨れの皮膚を体中にぶらさげた人がいた
▼幸い無事だった自宅で母は負傷者を手当てし、上田さんも懸命に手伝った。外傷はないのに髪がごそっと抜け、血を吐き死んでいく女学生の姿が七歳の目に焼き付いた
▼だが、その記憶を言葉にするには長い長い歳月が必要だった。自分が被ばくしたことも隠し続けた。「黙っていてはいけない運命にある」と思い、詩に書き始めたのは六十五歳を過ぎてからだ
▼「ガラスのかけら」は、爆心地近くで被爆し、生き延びた幼なじみの体験を綴(つづ)った詩だ。<今 メスで光の中に取り出され/空気に晒(さら)され/原爆投下の瞬間の閃光(せんこう)が/白く発光しながら/ガラスの表面でその映像を/目の前に写し出す/血痕を洗い流され/長い沈黙から目覚めた小さなガラスのかけら/…私の掌(てのひら)に取ってみる/小刻(こきざ)みに震えながら/何も答えない>
▼上田さんの心の中では、六十九年前のかけらが震え続けているのだろう。