2014年8月15日
中日春秋
 デパートの玩具売り場で男の子が駄々をこねている。「買って、買って」と大声を上げる。最近の子どもは聞き分けがいいのか、親の方があっさり白旗を揚げるせいなのか、こういう場面も見なくなったものだ
▼しかし、この子も粘り強い。母親の「置いていくわよ」の声も聞かぬ。床に寝転び足をバタつかせる。母親には申し訳ないが、目撃した駄々は見事な出来だった。議論も理屈も通じない。ただ、「それがほしい」
▼「駄々」の語源は「いやだいやだ」という。評論家で、雑誌「暮しの手帖」の編集長だった花森安治さんが「僕らにとって八月十五日とは何であったか」の中で語っている。戦争反対は理論ではない。「子どもがオモチャ屋の前でワァーッといっている、ちょっとやそっとでは動かない」衝動、感情こそが実は大切なのではないか
▼理屈をいえば反論が出る。議論になる。そのうち面倒になり、サーベルの音でも聞こえてくれば「賛成、賛成になっちゃう」
▼感情論を笑う人もいるが、結局のところ、ひとりひとりが物分かり悪く、駄々をこね続けることが戦を遠ざけておく近道なのかもしれぬ
▼あの子もついには引きずられていった。駄々をこね続けるのも、大変である。戦を容認したい人は、叱る。叩(たた)く。なだめすかす。それでも、「いやだいやだ」の駄々を用意する季節が近い。いや、もう来ている。
2014年8月14日
中日春秋
 江戸後期に「親孝行」と呼ばれる門付け(一種の大道芸)がいたという。年老いた母親に扮(ふん)し、胸に張り子の「男」を吊(つる)せば、息子が母親を背負う姿に見える。「親孝行でござい」と唱えながら、町中を歩いていたそうだ
▼天保九(一八三八)年発刊の「東都歳事記」にその様子が載っている。何とも珍妙な姿で今こんな芸を往来でやれば、気味悪がられるのがオチだが、江戸の人はこれにおあしを出した
▼もちろん、本物の親子だと勘違いしたわけではない。分かっていながら「親孝行といわれると、いちばん痛いところ。これで親不孝がつぐなえるならとつい小銭を出したのであろう」(立川昭二・『江戸老いの文化』)
▼お盆の帰省ラッシュは十三日がピークだった。駅、空港の混雑、高速道路の渋滞にお疲れの方もいらっしゃるだろうが、帰省ラッシュが毎年毎年ちゃんと起きることに、ほっとする
▼親が首を長くして待っている生家へ子が帰っていく。帰る場所がある。迎えてくれる親がいる。それはやっぱり幸せで、どんなに素晴らしい宝であることか。世の中、ずいぶんへんてこな具合になってきたが、帰省ラッシュという「幸福の渋滞」は続いている
▼<夕闇に母をとらへし帰省かな>。佐藤林太呂。夕暮れに待つ親もいない身としては「親孝行でござい」の声にやはり「あいよ」と小銭を出したかもしれない。
2014年8月13日
中日春秋
 俳優という仕事は虚構の世界をあたかも現実のように見せるという意味で一種の嘘(うそ)つきかもしれぬ。もちろん詐欺師とは違って、観客に残すのは夢や希望である
▼米俳優のロビン・ウィリアムズさんが亡くなった。米国の強さや頑固さを体現する役者は大勢いるが、ウィリアムズさんはそういう種類の俳優ではなかった
▼腕力とは無縁。どこか頼りなげでさえあるが、ホッとする温かさや人の「痛み」を分かち合う力がある。代表作「いまを生きる」「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」にせよ、そういう男を演じた時にその真骨頂が出た
▼傷ついた誰かを力を込めて抱きしめる。静かにほほ笑む。そんな場面が似合っていた。冷戦に勝利しながらも、悩み、迷い続ける一九九〇年代の米国にあって時代が求めた優しい俳優だったかもしれない
▼代表作に「聖なる嘘つき/その名はジェイコブ」を挙げる人はおそらくいない。この作品で不出来な映画を選出するラジー賞の俳優部門にノミネートされているせいだが、心に残る
▼第二次世界大戦中のナチス占領下のポーランド。絶望のユダヤ人居住区で、ウィリアムズさん演ずる男は人々にラジオで聞いたと嘘をつき続ける。解放が近い。ソ連軍が近くにいる。嘘が人を慰め、生きる希望となっていく。役者という仕事に似ているか。「聖なる嘘つき」の死が残念でならない。