コンテンポラリーダンサーTilmanが
武道を求めた理由


前回記事でダンスと武道の共通点を書いた。

だが、
それはその二つのジャンルが持つ共通の「本質」
を求めた人のみが必要性を感じるものだ。
と考察する。


一般的に、ダンスの中で
本質に触れることは難しい。
何故なら
自分のやった事の本質について
検証する場がないからだ。
だいたいは起こった現象が
どうだったのか、という判断。
しかも、その判断は個人に委ねられている。
だから、「その様な」現象が起きれば
みすみす疑問も持たずに通り過ぎる事ができる。
自己満足だ。

仮に演出家や振付師など客観的な目がある場合でも
結局は、その立場にある個人の経験などからの
判断になってしまう。
その途端、客観的であるべきその目は
「個人の価値観」へと成り下がってしまう。

「本質」とは何か?
その「本質」を見る実力があるのか?
自分に対して相当厳しい目を持たない限り難しい。


日野先生が教える武道には
必ず明確な検証がある。
その為「〜しているつもり」等の
個人の思い込みはすぐさま指摘される。
自己満足はおろか、本当の自分(現実・実際)に
向き合わされ行き場のない気持ちを味わう。

だが、
だからこそ自分の超えるべき壁が
明確に見えてくる。


Tilmanはコンテンポラリーダンサーとして
関係性を求めていた。
しかも思い込みを全て排除した
「本当の」関係性を。

それを実現させる為に必須事項となるものを
日野先生の教える武道の中に見出したのだろう。
 

以下の写真は、棒を持ち相手から伝わる力を
身体で受けている結果の動き。
実際に二人組みで棒の両端を持ち
相手に力を伝えるワークをやった後に
身体に残る感覚を辿っている。
思い込みでは、この様な動きにはならない。
舞台にリアリティを求めているTilman。
その身体には明確な説得力があった。