2日目:予てより報されていた四国香川を目指す。
5時台起床、各自支度を済ませたり(おれの場合はプロテイン摂取・日焼け止め塗布・朝の服薬等)、脳味噌が真面に目醒めぬ儘、6時20分に部屋を発ち、OCATにて待機。
バスを待つ最中も初日の記録を認めていた。
目的のバスが到着、扉の前で運転手に妹はスマホの画面(事前予約証)を見せ、車内後部座席に腰掛けた。夕べの内に買った握り飯類を軽めの朝食摂取。
7時丁度にOCAT出発、バスは目鼻先の高速道路へ。
然し、程なく降りて梅田のバス乗り場に暫し停車。信号でも待っているのかと思いきや、其処でも乗車客の手続き。3時間半と長く、仮眠をとり始めた。窓からの朝日も眩しく、カーテンも日差し避けに完全シャットアウト。
久々の高速道路で眠りに就き、サービスエリアの途中休憩でも、おれは席を立たず、バスは香川に向け再出発。おれが目を覚ますと既に四国へ突入していた。
人生初の四国、カーテンを開け、車窓から臨む広大な海原に青々と繁った山の深緑を漠然と眺め、バスは香川へ。時刻は10時半。
高松市内の栗林公園で降り、我等一行は1件目の讃岐饂飩を味わう。おれは笊饂飩と付け合わせに高野豆腐の天ぷらを選んだ。流石は本場、コシの強さは天下一品!店内でも土産様に置かれてもいた。
ご馳走様の後は琴電に乗り、終点の築港駅下車。
未だ脳味噌が寝呆けた儘、周辺の公園や名所のビルに立ち寄りもした。某広場ではイベント(創業30周年)も…(妹曰く金持ちの極み)。
そのビル内の某飲食店でソフトクリームに舌鼓。おれは、ベルギー本場のチョコレートを注文。妹のには雛霰似の菓子トッピング付き。その内1つを食べてみると、雛霰より遥かに食感は軽め。
時刻は正午、漸く体内エンジンも本調子。次なる目的地は美術館。
おれの障害者手帳と母の年齢証明で3人分の入館料が全額免除。先ずは特別展観覧。
作品に手を触れ注意されるお袋を余所に、通り過ぎる如く観覧を済ませブースを出ると、ロビーの作品(一輪車の公園遊具風アレンジ)を乗り回す男性。何と作者本人だった。「一緒に乗ってみたら?」と勧められたが気乗りせず…。
特別展のトークセッションは辞退も、続く常設展は現地の歴史を扱っており、日本史復習がてら説明文を読んでいると時間を食ってしまい、母と妹を待たす始末。売り場を見て、我々一行は美術館を後にした。
15時の昼飯はローストチキン。饂飩に加え、鶏の丸焼きも香川では名高きグルメ。商店街の迷路を潜り抜け、予約の店に到着。親鳥と若鶏を食べ比べたり、御飯物やスープも堪能、食事の合間に好きな音楽について語らいもした。
店を後にして各自ショッピングタイム。母と妹は百均でバッテリーを探す一方、ヤマハで過ごすおれ。
往年のヒット曲(レッスン風景の歌声)が店内を包む中、おれは店内の楽譜本を物色。家入レオのバンド・ギター譜を買おうとするも泣く泣く諦めたり…。
着信を受け、店の出入口へ近付くと母の姿を目にした。そして締めの饂飩。時刻は5時台、早目の夕飯を摂る。
その店では、蓮根の天ぷらと竹輪の磯辺揚げを付け合わせにスダチおろし饂飩の小を頂く(無料トッピングは天カス)。おれは丸ごと平らげても、白旗宣言の母。妹と残りを分け合った。
その後、高松駅に向かい、バス待ち合い室で一時休憩も、発車時刻迄1時間以上も残っており土産を選ぶ事にした。其処で正午に味わった例の霰菓子(ソフトクリームのトッピング)を見かけては、翌日の朝飯や素麺を土産に買ったり、再び待ち合い室にてバスを待つ。
予約のバス(往路と同じバス会社)が到着、今度は前方に着席。道中で歩き放しだった疲れを癒そうと靴を脱ぎ、リクライニングシートの背もたれを倒す。往路同様、窓側に座っていたら、運転手の苦労を垣間見た。
辺りが暗かった所為か、乗車客を見逃さぬ様、各停留所に序盤は止まったり、乗車予約者の確認や荷物の上げ下ろし等、独りでこなす様…、結構しんどいんだな…。頭が下がるばかりだった。
又も仮眠をとるも、往路より短め。淡路島内のサービスエリア(ファミリーマート)にてトイレ休憩。
バスへの帰還後も乗車人数を確かめたりと、運転手は忙しめ。
サービスエリアを後にし、高速道路をひた走るバス。夜だと海も真っ暗で、いつ明石海峡大橋を過ぎたかも判らぬ程。
然し、15年振りの夜景が1番のハイライトだった。
暗闇のベールに包まれし神戸始め都会の風景は、昼間と違った表情を見せる。
バスは大阪梅田に着き、大半の乗客が降車。運転手は急なトラブルにも毅然と対応(前方座席のおれは只苛々していた)。
ラストスパートの高速道路は往路と違い、名残惜しさから距離感を悟った。高速道路からOCATへ直接入り無事に行程を果たしたバス。
降車時に靴を履いたら異様に窮屈だったが、もう一踏ん張りて妹宅迄足を運び切り、入室後直ぐ様シャワーを浴び、大急ぎで敷いた布団の中へ急速潜航。人生初の四国讃岐は、実に最高だった。