ぼくは、障害者として生まれた事実を受け止めている。これがぼく。
もし、ぼくの障害が今も判らぬ侭生きていたら、どうなっていたのか?
毎日同じ会社へ履歴書を何十枚も送り付けていたり、職業安定所で毎日求人票を大量にプリントアウトしていたり、迷惑行為の繰り返し。
今現在もぼく自身の生き辛さと戦いながら送る日々。人にはどうせ解ってくれないと腹を括っている。判る前は耐える以外無かった。
おれが本格的に尖りだしたのは、11年前だった。過去のトラウマに耐え兼ね、時も場所も構わず騒ぎ出した。家では勿論、通りでも…。
子供が騒ぎ出そうなら、自己防衛目的か怒鳴り付ける事も頻発した。
然し、傷付いた方はどんな気持ちだったか? 周りの人々は…?
人を傷付けた十字架は一生背負う。障害者とて免罪対象ならず。
障害者手帳は免罪符と決め付ける、悪のおれが最大の強敵だから。
人の苦しみは比べる勿れ。それでも、救いたい人がいれば、守りたい人が見つかったら、その人に尽くしたい信念が生きる原動力へ…。