紅白を観ながら辛気臭い事を考えてもしまえるのは、思春期に傷つき過ぎた奴の発作たるか。
今世界には、本邦も含め、苦しみと戦う人達が少なからず。考えてみれば誰にでも判る事。
折角のムードに水を差す様で申し訳ないのは承知の上。節句を楽しめる幸は当然に限らず。
病・虐待・戦争・貧困・災害・事故…。生きる中での修羅場は、人としての精神を試される。
ぼく達の様な文明の発達が著しき国家では、情報が秒速何光年と目まぐるしく飛び交う。
逆に自然の大平原が果てしなく広がる大陸では、スマホなんてお役御免にもなり得る。
誕生日も記念日も人間が決めた事。意義ある人生にして欲しさ・願いを込めている。
先日起こった糸魚川の火災も修羅場なら、呑気に紅白観ているぼく達は一体何なのか?
若しありとあらゆる自然災害が同時に起き、然もテロ迄勃発しよう物なら…、此んな修羅場…、今如く呑気に過ごしていた時を異様に恋しがる。有難みを否応なく解らされる損失の瞬間。
それでも個人的な虐待等で心の傷が深過ぎる身分には、焼け野原だの瓦礫を眺めても…
精神的な極限状況。ぼく達は自然の脅威にダメージを喰らえど絆の力で幾度も立ち直した。
逆に孤独な怒れる復讐は自治体1つを滅ぼす(ユーチューブの某動画で知ったのですが…)。
'結局'なんて言いたくない。強力な存在こそ悪に染めてはいけない。正義こそ真ッ直ぐあれ。
虐めや詐欺の根絶。優生思想の亡霊を振り払う、悲劇の悪循環を断ち切れる重要な鍵。
障害者の虐殺は、福祉へ楯突く了見か? 視野の狭過ぎる経済政策は命さえ度外視の対象。
横暴な独裁者がたった今生きてたら、ぼくはリストラだ殺処分とやらで現世から追い出され…
詰まりは此のブログも書いてない。皆との出会いも更々なく、只の塵で終わらされた身分。
だから心に留めて欲しい。ぼく達は世の救い 何1つ誰1人無駄な命は無いと心得てくれないか?
大それたフレーズを吐ける生意気な身分に非ざるのも承知の上。然しそれでも言いたかった。
思春期に下劣な言葉を1度連呼しても、学生時代の成績が振るわずとも、ぼく達は生きる。
小説のバトルロワイヤルを読み直してはいるが、受刑者同士で実際にそれが行われてみろ。主催者はキラと、誰もが思うだろう。最もそれ以前に、犯罪者は有無を言わさず殺されるが。
虐待被害者同志で殺しあえと命ぜられても、いざ行く末を考えてみると、おれにも判らないや。
優生思想が暴走したら、それこそ人工知能だけの世界になり、人間は次第に滅ぶしかない。
大丈夫とは言い辛い。人が生まれる死ぬは流石に独り。でも一生でどれだけ人に関わるか?
出会いも別れも無く人生を過ごした人間も広い世界、長い歴史の内、最低1人はいるだろう。キリスト様だって死んで数日後に復活したとも言われている。だからどーしたって叫ぶ奴。
アダムとイヴからの発祥も、恐竜同然に滅ぶ時期を迎えるかもしれない。命に永久は無い。
ぼく達も死ぬけど、それは何時だろう、神様だけが知っていれば差し支えない、寧ろ十分だ。
今は生きる喜びを噛み締めていたい。憎しみに吞まれ我を見失えど、立ち上がってやるから。