ついさっき、母を通じて、伯父ちゃんの崩御が耳に届いた。
ショックだった。今は、独り言の喧しいぼくですけど、我乍ら言葉すら出ません。
最後に会ったのは、18だった。未だ、自分が発達障害と知る前の頃。
御免為さい。有難う。左様ならは、未だ暫しお待ちを…
母が申すには、気候のチャンスを待ってからとの事。
親父は今直ぐ出発なのに… 車の有無よりも、兄弟の縁が最優先だろうか…
年賀状が…、年明け2週間で喪中が決まった。ヒコザルを描けない…
来年以降も、同じ事が起こるのは間違いない。自覚の上です。
8人兄妹の長兄だった、亡き伯父様。年長の時は小田原にいらっしゃった。
旧宅の寝室で、五線譜を模った夜。保育園にも同行してくれた。
困らせた思い出は、振り返ってみるが、思い浮かばない。
神様は、時に辛辣な決断を下す。ぼくにとっての恩人が、早くに召されたり…
ねえ、ぼく、どうすればいいの? 涙すら出て来ないよ… 泣け歌でも聴こうか…?
母方の祖父が召されたのも、今年同様、未年だった。でも、当時は…
未年は未年でも、小2の12月だった。余り、関わろうとしなかった所為か、
悲しみは出て来なかった。呑気にTV漬けだった当時のぼく達兄妹。
日付は嘗ての成人記念日。今日は涙雨。崩御への悼みなのだろうか…
喪中なんて言葉を知ったのは、4年生の英語塾で初耳だった。
小2と言う、未だ呑気で無垢な年頃で… ジャンケンマンがマイブーム。
ねえ、お婆ちゃん家では、色々なエピソードがあったよね…
だから、ぼくは、飛ぶよ。明日に向かって何もかもを備えるから。
成長。此れがぼくの課題。其の部分は誰でも対等だから(皮肉だよね)…