捨てたと思った自分のゴミを誰かが再利用していたとき、人はどう反応するべきなのか。

私の人生においてそれは2度ある。

1度目は東京に住んでいた時。
捨てたはずのコートを次の週、
近所で評判のゴミ屋敷のオヤジが着ていた。

私のゴミなのに、まるで自分が買ったような態度に一瞬かっとし、
ここは怒ってコートを引っぺがすべきかと迷った覚えがある。
(通勤途中だったので、くれてやった)

そして2度目は今日起きた。

マンションの地下に、2か月ほど前に捨てたはずのスーツケースがあったのだ。

軽量プラスティックで出来たそのスーツケースは何か所もヒビが入り、
ガムテープで補強し、ごまかしごまかし使っていたが、
次の旅で恐らく崩壊するだろうと捨てた。

それがなぜか、管理人が使うモップやバケツと共に現役面して鎮座している。
しかも捨てた時よりさらに使い込まれ、新たな泥が付着していた。
どう見ても「何かの運搬」に一役買っている。

これを見た時の私はコートを着たオヤジを見た時と同様、
ここは怒るべきか、
それとも頭を抱えて「あーーー」とうめくべきか判断に迷った。

だが捨てた時点で既に私の所有物ではないことも重々分かっているので、
結局黙ってそのまま放置した。

スーツケースにはぜひとも天寿を全うしてもらいたい、ただそれだけを願う。

さて本題だが、今度の土曜日、23日はトルコの祝日である。

何の日かは良く分からないが(すみません)
お隣の小学校では連日、お披露目用のお遊戯の練習に余念がない。

「でも去年と全く同じ演目だよね」
と瞬時に分かってしまう私は、ある意味地域に密着していると言えよう。

この小学校は低学年のみっぽく、しょっちゅう休校だし、
開いていると思ったらお遊戯の稽古ばかりしている印象。

でもお遊戯している子供は可愛いので許す。

私自身は小学校で組体操とかやらされ、
一挙一動決められた通りにやらないのは謀反レベルと思ってしまう古い考えなので、
「お遊戯」と「自己流に踊る」という相反する2つの動作を、
笑顔でこなすトルコ児童に羨望を覚える。

もし私がトルコ児童として育ったら、
エアロビのクラスで迷いなく最前列を陣取るくらいの自信が養われたに違いない。

そんな中、今日のお遊戯の稽古はいつものCDとは違って生演奏であった。

「生演奏」と聞いてどのような楽器を想像されるかは人それぞれだろうが、
トルコのそれはどうやら、「太鼓」と「笛」である。

太鼓は鼓笛隊が使うような中太鼓。
そして笛は「蛇使い」風なのがトルコ流。

ピヒャーッ、ヒョロロロロロ♬
妙にこぶしの効いたそれにドンドンと太鼓が重なる。
この2つの楽器で意外にも多彩な音を奏でるのに驚く。

奏でているのは2人のおっさん。

思わずカメラを取り出して撮影した。



自分で言うのもなんだけど、結構いい写真が撮れたと思う。
子供たちもかわいいではないか。

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