最初にアパートを借りたのは世田谷は三軒茶屋である。
そう、「三茶」でお馴染み、若者に人気のあの町だ。交通の便文句なし、店も深夜まで開いている。有名人も良く見かけた。
そんなお洒落な三茶だが私が契約したアパートは「xxx荘」と名のつく時代の流れに取り残されたレトロな建物であった。「どんなところに住んでるの?」と聞かれたら私はこう答えたものだ。
よく刑事もので犯人が住んでるアパートあるじゃん。2階建てで鉄で出来た外階段がついててさ。
で刑事が犯人ちのドアを叩くと決まって頭にカーラー巻いた隣りに住むおばさんが
「xxさんならここんとこ帰ってきてないよ!」
って迷惑そうにドア開けて言う・・・
とここまで言って「あー分かった。ドア開けてすぐ右か左が台所でしょ」と遮られる。とまあそういうアパート。
古い作りゆえ不便なところもあったが間取りと収納がゆったりしていたのと風呂が追い焚きなのが気に入って、ここに弟と10年住んだ。
しかしある日困った事が起こった。ねずみが我が家を襲い始めたのだ。
大げさな、と思う向きもあるかもしれないが、実際その位の勢いであった。
というのも当時周りの古い木造アパートが次々と改築、モダンなアパートへと変身を遂げ、そこに長年住みついていたねずみ達が、この昭和の遺物に大挙して押し寄せてきたのだ。
まず風呂場の石鹸がやられた。
「キーーーー!」と吹き出しをつけたくなる位くっきりとした歯型。次に米袋。病気が怖いのでこれをやられたら捨てるしかない。これは貧乏人の身に非常に応えた。排水溝などをふせいでも無駄。我々の努力をあざ笑うかのごとく次の日私の靴の上に小さいもみじのような足跡を残していく。(悔しいことに弟の靴の被害はゼロであった)
大家から住人へネズミ捕りが配られたが、捕まえたねずみをどう処理しろというのだ。
一度二階に住んでいた大家の妹が我々を訪ねてきた。片手には麺棒のような棒切れ、もう片方には黒いビニール袋を提げている。そしてそれがゴソゴソ動いているのだ。
「ネズミ捕り使った?あれ効果ばっちりだからぜひ、ってこら!動くんじゃない!(棒でビニールをバシバシ)。ほら、この通りすぐ捕まるからぜひ使って」
恐る恐るその捕獲したネズミをどうするのかと聞くと「水責め」とのお答え。
無理。絶対無理。こうしてネズミ捕りは更に奥深くへとしまわれることになった。
この情報が流されるや否や友人達の間で我が家は「世田谷のディxx-ランド」と呼ばれることになる。
「うちのねずみは歌ったり踊ったりしないけどさ。あははは」こうなりゃもうやけっぱちだ。
そんなこんなでお会いしたくない家族も加わった我が家だが、ついに明け渡す日が来た。近くに手頃な物件が見つかったのだ。友人と弟で引越し準備をしていたところ、弟に呼ばれた。
「姉ちゃん、ちょっと俺の部屋来て」
狭い部屋にひしめいていた家具は全て取っ払われ、あるのは長年ちり積もった綿ボコリ。そして弟が指差す部屋の片隅を見てみると
お菓子の包装紙が落ちていた。
その先には床から10センチほどがケバ立った柱
そしてその横には一本の煙草の吸殻
ふたり無言でうなずいた。『これはねずみの仕業だ』
台所からこっそり拝借したお菓子を食べて柱で歯を磨いて、一服した後で寝床に帰った、
我々の想像は一致した。なんだが急にねずみが身近に感じられた一瞬であった。
私達の後に若いカップルが越してきたそうだ。
周りはすっかり様変わりした今でもまだそのアパートはある。
ねずみは?
止むを得ない事情で手放したペットを想う飼い主の気持ちとは、こういうものなのかもしれない。