夫婦で日本に行った時の事だ。
その日我々は新幹線に乗って京都に向かう途中であった。
前日の友人宅での大宴会が祟り私はひどい二日酔い。毛穴という毛穴からアルコールが臭気をあげて蒸発している。一方お酒を飲まないスーさんは初めての新幹線に大はしゃぎ。ニワトリのように右左と首を動かすのに忙しい。この調子なら京都に着くまで放って置いてもよさそうだ。駅の売店で買ったおにぎり弁当を与え、私は早速寝る体制に入った。

私の考えが甘かったと気づくのにそんなに時間はかからなかった。横浜駅を通過して程なくした頃、スーさんに肩を叩かれた。
「ねえねえ、あれってひょっとして富士山じゃない?」

煙草を吸った事が無い人間に煙草のうまさを理解するのは難しい。それと同様、お酒を飲んだことのない人間に二日酔いのつらさを分かれといったところでどだい無理な話だ。「車掌にでも聞いてくれよ」と思いつつ、適当に応える私。

「そうそう。そうだよ。天気悪いと見れないこともあるからさ。晴れ女の女房もらってラッキーだったね」
「ふーん、あれがそうなんだ。なるほどね」

そして更に30分後
「ねえねえ、僕あれが富士山じゃないかと思うんだけど」

渋々目を開けるとそこには神々しく鎮座するマウントフジ。
「富士山って二つあるわけじゃないよね」
「・・・・・・・」

気を良くしたスーさんの攻撃の手は緩まない。今度は
「ねえねえ、スーさんって何?」

これにはさすがに飛び起きた。ど、ど、どーしてそれを知っている?!

説明しよう。スーさんの本名はスティーブン。いささか長い名前である。そこで私と日本人の友人の間では「スーさん」で通っていた。スーさん=釣りバカ。キャラもぴったりである。もちろん我々は親愛の意を込めてそう呼んでいる訳だが果たして本人が気に入る保証は無い。そこで久しく「隠れあだ名」で通っていたのだが昨夜の宴会でついに露見してしまった。それもこれも私が悪い。酔っ払うにつれて彼に日本語で話しかけ出したらしい。だがこのあたりから私の記憶は消えているので以下スーさんの話。

友人が彼に話しかけても気づいていない時、私が日本語で割って入る。
「ちょっとスーさん、そう、あーたに話しかけてるの。スーさん、あなたに!」
スーさんスーさん大連発だ。それが解禁の合図となり友人たちもいっせいに「スーさん」と呼び始めた。

スーさんは一人途方に暮れていた。
みなが自分を見ながら「スーザン」の話をしている。スーザンなどという女、ここにいただろうか?どう見てもここにいるのはみな生粋の日本人ばかりだ。なのに女房は「あんたのことだよ」という。そしてその女房も今はいない。向こうの席でお喋りに夢中だ。
俺はスーザンではない。スティーブン。そんなの分かりきったことだろ?
ほらまた誰かが「スーザン」の話をしている。そしてなぜこっちを見る??
彼の苦悩は一晩中続いたらしい。

申し訳ないことをした。私は説明した。スーさんのスーはスティーブンのスー。日本人はあだ名をつけるとき短くするのを好むこと。スーさんのさんはミスターのさん。誰も馬鹿にはしていないんだよ。むしろその逆、親しみを込めているんだよ。それにこれは日本でも有名なニックネームの一つなんだってのも追加した。「有名」という言葉に気を良くしたスーさん

「ふーん。スーさんねー。スーザンじゃないんだぁ。僕どうしようかと思ったよー」

と自分を納得させているようであった。早速こちらに戻って釣りバカのスーさんを彼に見せた。想像以上のご老体にかなりショックを受けたようである。それでも「スーさん」と呼ばれるのもまんざらでもない様子。日本人に自己紹介する時「スーサンデス」になって久しい。

私の親も親戚も友人も会社関係の人達にも皆からスーさんと呼ばれるスーさん。ぜひご本家のようないぶし銀な老人になって欲しいものである。