松本清張のゼロの焦点を1日で読みました。


描写に時代を感じます。


断層のような雲の重なりが横にのびていて、その薄い隙間をやはり雲の裏側に沈んでゆく陽の光線が明るい筋にしていた。それも、しだいに白さを消しつつあった。

雲は、諏訪湖より遥かに広い面積とくろずんだ色で湖面を圧していた。



戦後13年、昭和33年という時代は、今とはかなり違います。

写真を見るためには、わざわざその場所に行く必要があり、遠方への電話は交換手が取り次ぎます。

砂の器もそうでしたが、話の展開には無理がある感じがしましたが、当時の雰囲気が感じられます。

主人公の旦那さんの同僚の本多という人もいい人で、今の職場とは違うかもと思いました。

今は、職場の人と検索すると、関わりたくないとか、仲良くしたくないとか出てくるし、親しげに近づいてくる人に色々話したら、陰で悪口を言われていたとか、ハラスメントもあるしもっと複雑になったと思います。

1960年昭和35年に映画化されているようなのですが、このときの役者さんたちは、ほとんど亡くなってしまっています。加藤壽(かとうよし)も登場していました。

舞台が能登半島で、金沢の兼六園が出てきました。日本海海の激しさや断崖の多い海岸沿いなどがよく描かれていて、謎がもり上がっていたと思います。

文句ばかり言う年寄りへの対応方法が分かった気がします。自分でも目からウロコです。


それは、適当にふんふんと聞くことです。


常に文句ばかりを言っているイギリスのお婆さんと週に1度話さなければならなくならなくなり、憂鬱な気持ちでいました。


そのお婆さんは、天気が良ければ、暑いし太陽の照りで疲れるといい、凉しければ風が冷たいといい、寒いと寒いと文句をいい、物の値段が上がったと文句、足が小さすぎて靴をみつけるのが大変だけど子ども用の靴はデザインが気にいらないとか、若い頃のように忍耐力がないので病院では待ちたくないとか、パソコンは分からないから手続きができないとか常に文句ばかりです。


文句を言う人は、他の人より自分の考えのほうが優れていると思っていること多いもそうです。その考えから評論家のように自分の価値観や見方を一方的に話す傾向もあるそうです。


お婆さんは常に自分の話しばかりして、人の話しは聞きません。


こういう人にどう対応すればいいのか、インターネットで探していたところ、文句ばかり言う人への対処方法というのを見つけました。


真面目に聞かず適当に流すというものでした。その人が言っていることをリピートすれば聞いていると思うので、リピートしながら聞くといいというものでした。


文句をずっと聞き続けると憂鬱になるので、これはストレスにならないためにも大切だと目からウロコでした。


うんうんと適当に流しておけばお婆さんも自分が思うことを吐き出せて、よかったと思うことでしょう。


反面教師として、年を取ると文句ばかり言い出すようなので、気をつけたいと思いました。

文句をばかりだと、聞いた人を疲れさせるし、自分の顔も不満だらけになると思うので、同じことを言うにしても、できるだけポジティブに言ったほうがいいと思います。


このお婆さんは、口癖のように here we are と分かったようなことを言うのですが、その口癖から今まで何をやるにしても、そんなことをしても無駄だととか、意味がないとか言いながら人生を送ってきたのではないかなと思いました。


何事も否定から入る癖も見られるので、その癖からも否定しながら人生を送ってきたのでは、と予想してしまいます。


その結果何もしないまま年だけ取り文句ばかり言うようになったのかも。



このYoutubeの話しは本当です。

お店に行き何かを店員に聞いたら、すごくめんどくさそうに邪魔そうにされます。
イギリスは全国民の3分の2が肥満だそうで、太っている店員が多いです。態度はものすごく悪く、無関心で威張っています。

私のような外国人が店員が携帯に夢中になっているのを邪魔して質問したら、知らん顔をされます。

オンラインの募集要項には、リテイルワーカーとしてホスピタリティ精神がある人という山のような質問があるのですが、実際はそのような正規の応募で来た人は雇わず、マネージャーや店員の縁故採用で自分の友達や家族を雇っているようです。

それでも、そのお店を利用しないといけないのは、他に選択肢がないからです。
セルフレジが増えてよかったと思います。