福島ユナイテッドおばちゃんサポーターの独語 -25ページ目

福島ユナイテッドおばちゃんサポーターの独語

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平成20年8月末の土曜日の午後。
ふっとつけたテレビ…天皇杯福島県決勝戦のライブ中継…福島ユナイテッドは初優勝。

私は初めて、福島ユナイテッドというサッカーチームを知る。


















震災

JFL昇格









皆様ありがとうございました。

来季も宜しくお願いします。


福島ユナイテッド\(^o^)/




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最終戦を終えて、帰りのツアーバスの中でふっと父親の事考えてました。

10年前から肺気腫を患い、5年前から在宅酸素生活。入退院を繰り返し今年の3月に危篤状態になりました。延命処置は望みませんでしたが回復し無事退院出来ました。

なぜか…サッカー嫌いの父親。
「球蹴りの何が面白い?」
ただ福島ユナイテッドの存在は知っており
「弱いチームだなぁ~」と言ってました。


医師から、在宅酸素やっても5年が限界と言われ…死期が近いと覚悟してました。

アウエィ応援の時は、帰宅するまで父親が無事でいる様願ってました。

最後に父親と会ったのは11月10日の朝、MIOびわこ滋賀戦の観戦に行く前実家に寄り「気をつけて行けよ…」と言われました。



11月25日の私は朝から虚無感…脱力感…


翌26日に午前3時、父親の様子がおかしいと母親から電話。

父親は、意識が無く呼吸も悪かった。
呼名で幾らか意識回復。救急車到着した頃はチョツト良くなった感じ、病院到着後再び意識消失呼吸状態悪化…延命処置は望まず、呼吸、心臓、が停止するのを見守り、静かに停止…母親、私、娘の三人で看取りました。

午前4時55分。享年80歳。

穏やかな死に顔でした。


父親の遺言どうり、みんなで酒を酌み交わし、泣いたり、笑ったり…賑やかなお葬式でした。


月曜日は初七日。

今思うこと…本当に延命処置しなくて良かったのか?
本人は、もっと生きたかったのではないか?

私は、呼吸困難から解放させてあげたかった。

病院から、斎場に向かう車の中で見た虹は本当に綺麗でした。


「じいちゃんは、あの虹を渡って天国に行くんだね」と娘。

父親が死んだのに、清々しささえ感じた、朝の出来事…

闘病生活ご苦労様でした。


育てくれてありがとうございました。


何も心配せず、安らかにお眠り下さい。

母親は大丈夫ですから…当分迎えに来ないで下さい。






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最終戦のボス


34回も修羅場をくぐり抜け、堂々たる貫禄チョキ


フロント硝子が凍り付く寒い朝、6時40分に福島を出発。


小春日和で東北人の私達には暑いくらい…



試合は…後半に先制し…追い付かれ…1ー1ドローでした。

今季で福島ユナイテッドを去る、監督、選手のはなむけに勝利したいところでしたが…
なかなか、勝利の女神は微笑んでくれませんでした。
12位でJFL初年度を終了し、最下位でJ3加人になりました。



監督、今まで本当にありがとうございました。

また、福島ユナイテッドの監督として戻ってきて下さいね。


福島のテレビ局TUFアナのブンカさん…試合観戦皆勤賞です。
毎回取材ご苦労様でした。
ブンカさんには、みんな本音で話す事が出来ました。
来季のホーム開幕戦は、サブコールリーダー兼取材いかがでしょうか?

埼玉県民、多毛さんも皆勤賞です。
福島県民より、ユナイテッドを愛する…本当にご立派です。
もしかしたら、新市長から福島永住権が発行されるかも…。
ありがとうございます。

なかなか、勝てないJFLの洗礼を受けた福島ユナイテッドですが、勝ち点より得たものがあるはずです。
それを来季のJ3の舞台で生かして欲しいものです。

もし願いが叶うなら、私の様な熟年サポーターが、元気なウチに昇格して欲しい。




私のblogにコメントを下さる、福島出身者さんとご対面しました。
素敵なご家族ですね。
一生懸命応援する奥様に感動しました。
ありがとうございました。

是非、来季はご家族で「みんなのスタジアム」に入らして下さいね。

色んな事があって…一喜一憂して、福島ユナイテッドを応援して、元気に過ごせた一年でした。

ありがとうございました。


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