電子辞書って魅力的だよね。


たったそれだけの事を書こうとしたら、電子辞書に親しんだ大学受験期の記憶が蘇ってきて、なんかよく分からない文章を拵えてしまった。しかも二篇に分けて。


その青い電子辞書は、大学に合格した後も首都圏のアパートに持っていき、キャンパス内でも持ち歩いた。そこからの用途はもっぱら辞典に限定され、収録された文学作品のフォルダはずっと開いていないけど。


しだいに紙の辞書を多く使うようになり、電子辞書は長らく開かずいつの間にか電池が切れていたりするように。


子供のころからもっと紙の辞書を使っておけば良かったなと今は思ってしまうけど、多機能な電子辞書を使ったことで①のように受験勉強中の小さな楽しみとして電子辞書サーフィンを楽しんだり、いじっていたら小説を見つけて②のように漱石を読むといった体験をしたのである。電子辞書の中の知的世界を自由に泳ぐのはなかなかに楽しい。


一つの事を専攻したり体系的に知るのは大切なことだろう。その傍らで、言語にせよ何らかの学問分野にせよ、本棚を眺めて、何となく面白そうなものを手当たり次第に齧ったり、そういう経験をしてみるのもまた良いと思う。そこから何か自分の肌に合うものや、価値観をガラッと変える思わぬ出会いをするかもしれない。


齧ってみて自分に合わなかったり失敗することもあるだろう。漱石の猫が、餅から歯が抜けなくなってジタバタしたように。それもまた学びである。


高校生は大人になり、多少のお金も入った。今ではスタンダードな英和、和英、国語、漢和では飽きたらず類語辞典やを工夫をこらした数種の漢和辞典を眺めたり、国語辞典にしても○○国語辞典と○○国語辞典の違いを見つけたらメモってみたりと、なかなかに生意気な辞書好きになってしまった。外国語辞書も英仏独にとどまらない。


電子辞書は今の私にとって、手元の様々な辞典で分からなかった事を引く最後の手段だ。このあいだはメロヴィング朝のラテン文字スペルが思い出せなくて調べた。もう昔のように電子辞書とにらめっこすることはない。


それでも、小説で新聞で知らない言葉や読めない漢語に出会うとなんか嬉しくて、棚から色んな辞書を引っ張りだす時のワクワク感は、静かな自習室で電子辞書をポチポチやっていた時と同じだ。青い塗装が少し剥げた電子辞書を見ると、こんなに時が経っても自分の感性とかいうものは、そんなに変わらないなと思う。


吾輩は辞書が好きである。