前の職場では、休憩時間に一人ロッカー室で本を読むことが多かった。


あるとき読んでいたのは、

ちくま新書『12歳からの現代思想』


中公新書『フランス現代思想史』を読んで以来、著者の岡本裕一朗さんの本をもう一冊読んでみようと思い、購入していた。


同僚が興味を示したのでタイトルを見せると、見た瞬間に「ああ、いいや」と苦笑いしていた。


読まぬうちからそう言わなくてもと思うが、気持ちは分かる。私も高校生の頃などは思想という文字を見るだけで敷居の高い印象を持ったし、文系学部に行ったのに哲学や思想は自分に関係のある事柄だと思えなかった。食わず嫌いせず少しは踏み込もうとしたのは、学部で文化人類学と言語学に少しだけ、ほんっとうに少しだけ触れたからかもしれない。


まずは概略的にと考えて読んだのは、


有斐閣アルマ『はじめての哲学史』


だった。同シリーズは人文社会分野の様々な領域、レベル、テーマの本を揃えていて、私は『東南アジアの歴史』で出会った。


哲学分野は主要な新書ブランド等からたくさんの解説、入門が出ている。とくに冒頭の本を含め、ちくま新書からはたくさんの哲学関連書籍が、多くの場合は哲学者の名前をそのまま書名に冠して編まれている。


では、そんなたくさんの書籍を自分のペースで読んでみて、なーんだ、哲学って難しくないじゃん!と思えたか。


答えは否である。


優秀な人々は"分かる"のだろうか。少なくとも私には、哲学は読めば読むほど分からないし、何となく分かるような気がしても、やっぱりよく分からないことが多い。


というか、そもそも正解や結論を求めるべきでないのだ。


全ての文系分野に言えることだろうが、何らかの事象に一つの正解があることなどなく、答えのない問いを考え続けることが人文社会科学で、哲学はそれをやるための方法、つまり、考えるって、学問やるってこういうことだよと言っているのかもしれない。


言語を、文化や社会を、史実を、この世界を学問するにはこんな方法がありますよ、こんな方法もありますよと哲学者は言っている。その方法が現象学だったり、実存主義だったり、構造主義だったり、ポストモダン思想とやらだったりする。世界を見るための様々なレンズが哲学であり、様々な学問分野なのだ。


分かるまで何度も読めよ、と最近の著書が大ヒットした先生が言っていたが、さすがデリダに会いに行く人だ。その通りだ。答えのハッキリしたものばかり好まれるけど、世界は、人の心はそんな単純にできていない。大事な事は難しい。難しい事は面白い。解説を読んでもやっぱり脱構築が分からない。でも面白い。


そういえば内田樹さんは、学生の頃はフーコーやラカンの言う事が分からなかったが大人になったら分かったと書いていたな。大人になっても哲学が分からない、というかいまだに原書にも挑んでいない私は、あと何十年でそんな境地に行けるだろう。岩波文庫の積読は青帯と白帯ばかり。今は日本の先生たちの解説を読むので精一杯だ。


何かを勉強しているなら、いつか内田樹さんのように、難しいと人々が敬遠しがちな物事を分かりやすい文章で解きほぐして説明できるようになりたいものだ。『寝ながら学べる構造主義』を読んだ時から、ずっとそう思っている。


とりあえず、あのロッカー室からは出ることができた。