東京都美術館で催されているマティス展に行き、家族への土産にポストカードを買った。赤が基調の賑やかな絵を使ったものを選んだ。地元の100円ショップで買った簡易な写真立てに入れてリビングに飾る。


私は美術、絵画の潮流と歴史を体系的に理解していないが、絵を見る時間はけっこう好きだ。小説の表紙に独特な絵が使われていると、小説の作品世界よりも表紙が強烈に印象に残ったりする。


以前、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のスペイン語オリジナル『Cien Años de Soledad』を新宿の洋書店で購入したが、私が買ったエディションはコロンビアの有名な画家ボテロの絵が表紙になっていた。このあまりにも有名なラテンアメリカ小説に、著者と同郷出身の世界的な画家の絵まで使われているとますます威厳が感じられる。


私の高校にいた美術教員は放任主義的な面白い先生だった。今学期はいついつまでに作品を仕上げてもらうから、アイデアが浮かばない者は自由に見て参考にしろと、大量の美術雑誌を美術室に持ってくる。さほどマジメな生徒でなかった私は、なかなか自分の絵に取りかからず何週にも渡って美術雑誌を見あさっていた。私も私だが、叱らない先生も変わっている。


気づけば週一、二回ほどの美術の時間に、赴くままに美術雑誌を見るのが楽しみになっていた。背景や画家のプロフィールなどは殆ど気にせず、絵そのものをただただ見るのが面白かった。結局いまでも作家論や美術史はからっきしだが、絵を鑑賞することに音楽や映画と同じような楽しさを覚えたのはその時だったと思う。


私自身は絵心のカケラもないが、家族には絵の得意な者がおり、美大に進学して美術の教育免許まで取得した。実家にはオリジナルの絵が描かれた大小のキャンバスが散乱している。音楽を中心に文化、芸術への造詣が深い親もいるので、実家にはもともと絵や芸術品、植物など様々なインテリアがある。私が買って写真立てにいれたマティスのポストカードも何の違和感も無く実家に溶け込んでいる。


文化的な生活環境が人生を豊かにするのではないか。質素で物が少ない部屋に住むことに魅力を感じる人も多いようだが、私の場合、好きなもの、興味のあるものがさり気なく置いてある部屋で過ごした方が健全に生きられる気がしている。