猿啄城ないし勝山城は国道21号坂祝バイパスが鵜沼から美濃加茂の方へ抜けてゆく途中、鵜沼・坂祝トンネルのほぼ真上にある。標高265メートルの城山の山頂にあって登山コースと展望台が整備され、訪れるハイカーが多い。
麓の木曽川沿いを東山道が通っていて、街道を押さえる城として重要だったらしい。築城は応永年間、西村豊前守善政の手によるとのこと。その後は戦国時代まで何度か攻め込まれて城主が替わった。最後は永禄八年(1565年)に当時の城主多治見修理が織田信長の軍勢に攻撃され落城し、先鋒だった河尻秀隆が城主となった。
坂祝町の指定史跡。
梅雨まだ半ばというのに真夏の暑さがやってきていたこの日、朝イチで野口館を見てからこのあたりの山城を連続で訪問することにし、最初にここに登った。
登り口には10台分くらい駐車場があるが、満車ちかかった😮
横に説明板。
駐車場の裏の山道は、一本北の尾根に入ってゆく違う山への道。そちらには入らない。
城へは林道を少し入っていき、道標のある分岐を左下へ降りてゆく。
すぐに赤い欄干の橋で沢を渡り、山荘の家の立つ間を通り抜けると、階段道でひたすら登ってゆくようになる。
しばらく登ると、分岐がある。
直進方向に左の方とどちらも階段道で整備されているようだ。
地形図では左へ向かっているが、ここは城まで直登していきそうな直進方向へ。
つづら折れで登ってゆくが、それでもキツイ登り💦
周囲の斜面はほぼ45°
ところどころに竪堀のような凹があるが、見る限り上まで伸びていないようす。
しばらくトラバースぎみの直線的な登りだったが、中電の送電鉄塔あたりからいよいよ直登の様相になってくる。
整備はされているので、ゆっくり登れば大丈夫。
途中、標高190メートルあたりの左側にちょこっと見えるココ、帯曲輪か何かだった?
さらに20メートルばかり登ると、わずかだが平坦なところが突然現れる😮
ここも曲輪のように見えるが…
見れば、その上がいかにも城塁の雰囲気を漂わせた土壁になっている😮
登城道はここをスルーしてしまうが、少し行ったところから踏跡をたどってゆくと、上の曲輪に出られる。
テニスコートぐらいある、けっこうな広さ😮
この先から、木曽川上流方向を望むことができる。
ホントに樹間、一瞬だが…
このあたりからは細かいつづら折れの登り。
この大岩が現れると、山頂は近い。
さらに上には石碑。
「白河神社」とあり、裾には小さな祠。
立って拝礼するための石垣も🌿🌿の中にあった😮
山頂直下に、虎口らしい造作は全く無い。
岩っぽい山頂へそのまま登ってゆく感じ。
そして、主郭。
大きな展望台と石碑が立って狭苦しいが、それらが無くてもテニスコートより狭いぐらいの、小ぢんまりとした空間…
展望台は鉄骨+木造、櫓ふうの意匠になっている。
主郭の端のほう、土台は少しはみ出しているようす。
これも模擬天守ということらしい…😂
コースはさらに西へ、尾根を降りてゆく。
こちら側にも虎口らしい造作は無し…
ここからもかなり急な下りで、鎖の手すりやトラロープがフィックスされている。
外側には…石積?
さらに降りてゆくと鞍部になり、小さいがみごとな土橋状が架かっている。
周りの🌿🌿が旺盛すぎて土橋に見えないが💦
ここから振り返る城内側。
露岩むき出しの、ヤバい登り💦
ここには城の西側を守る堀切が走っていて、その尾根線上を土橋で渡っていた。
北側は🌿🌿で覆い尽くされていたが、南側は見通すことができた。
10メートルばかり先で急斜面に落ちて終わっているようだ。
北側は、コースから離れるとヤブが薄くなり、20メートルほど先まで降りていた。
真ん中あたりから上を振り返ったところ。
コースはさらに西の迫間城方面へと続いているが、城はここまで。
尾根続きを歩いて訪問するには遠すぎるので、ここで引き返して山を下りた。
城らしいところがほとんど見えないという下調べの印象だったが、城のある山自体がなかなかに険しく、自然の要害を取り込んだ城だったのだろう。
尾根続きを堀切や堡塁状でしっかり守っているし、反対側の登城道途中にあった曲輪はそこそこの広さがあるし、よく見ると緊張感が感じ取れる城だった。
★猿啄城(勝山城)
岐阜県加茂郡坂祝町勝山
登山口付近に駐車場(普通車10台程度)あるがアクセス道は狭い。登山道整備されているが急登多い。
山城
(2025年6月25日 記)