別府城は国道17号深谷バイパスから上武道路が分岐する近くの南側にある。いまは東別府神社の境内になっているが外周の土塁と空堀をよく残している。
このあたりの有力国衆であった成田氏の分家別府氏の居城といわれる。築城時期は不明ながら戦国時代のものと考えられているらしい。郭内の東別府神社はそんな城内に鎮守として奈良の春日神社を勧請したのだという。
ワタシがまだシロウトだった6年ぐらい前に一度訪問していた城で、このときは土塁と空堀の一部を見ただけで早々に退散していた。その時よりは目が肥えただろう今、何が見えてくるか…
東別府神社の石柱のところから入ってゆくと、間もなく神社の境内に入る。
入口が、しっかり土塁の切れ目の跡を残している。
傍らには説明板。
そこから東に向かって30メートルぐらい、土塁が伸びている。
いまは🌿🌿に覆われた高さ1メートルぐらいが残っているが、往時は2メートルぐらいあったらしい。
その向こう側の端まで行くと…
立派な空堀らしいのが、南北に走っている😮
水路のようにも見えるが、水は無い。
土塁より南に続いていたらしいが、いまは住宅に埋められたか…?
では、郭内に入ってみる。
社殿が曲輪の北西の方に立っている。
立派なケヤキなどに囲まれている。
反対側は🌿🌿が旺盛で、植えられたサツキがすっかり同化している…😮
東側に小さな鳥居が立っている。
鳥居の前まで行ってみると、北側の土塁に抱かれるように池らしい跡がある。
そして、鳥居の前で土塁が切れていた。
虎口のように見えるが、その先の掘を渡る橋などは無い…
ここへは、堀の城内側を北から入ってくる道のようなものがある。狭いドブ板の上を歩く道だが…
少し北へ歩くと、城の北側の空堀をコンクリの板で渡る。
ここから眺める堀は、完全に緑の園だった😂
それでも、外側に沿う道から眺めるとカッコいい✨
西へ向かって直線的に伸びていて、内側は高さのある土塁に守られているのが見える✨
西の方へ行くと、土塁が高くなってくる😮

そして北西の隅で直角に折れ、南へ伸びる。
こっちの堀は、東や北と比べてだいぶ狭いか。
内側の土塁が真ん中あたりで少し崩されているようにも見える…
そして、西側から郭内へ入ってゆく道は、堀を渡って右へクランクしている。

土塁の下を10メートル行かないぐらい南に這ってから土塁の切れ目を入ってゆくようになっているもので、土木工事はシンプルながら動線に折れを入れて守っているようだ😮
土塁の切れ目を郭内から眺める。
クランクの上の土塁は一部崩されているようだが、高さも厚みもある立派なやつ。
西から攻められたときには防衛の最前線になっただろうから、内側は遊具の据えられた公園とは言え緊張感が漂う…
虎口から南、社務所の裏側にも土塁が伸びる。
この先は南西の端に立つ神社が倒壊の危険があるらしく立入が規制されている。
というわけで、ここまでかな…
シロウト時代にも訪問した城だが、西側のキレイにクランクさせる食い違い虎口の存在は知らず、今回初めてお目にかかった😅
周囲の土塁も高く、小ぢんまりとは言え天正年間まで戦っていた城の姿を見ることが出来た。
ついでに、西の方にある西別府館跡も見に行った。
遺構は見えないが、土の下に今でも残っているとのこと。
★別府城
埼玉県深谷市東別府
短時間であれば郭内に駐車可。
平城
(2025年5月2日 記)