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琵琶湖ではなく伊豆半島の付け根に入り込んだ内浦湾の南側から突き出た岬の上に広がる。

後北条氏の水軍の拠点として知られる。天正七年(1579年)に甲斐武田氏との同盟が手切れになり、武田勝頼が北の沼津に三枚橋城を築いたのに対し、駿河湾方面からの侵攻に備える拠点として築城された。軍港となる船掛場が築かれるなど水軍の拠点となり、翌年4月には駿河湾海戦と呼ばれる大規模な衝突が発生、その後も小規模な戦闘が何度か発生したとか。

武田氏が滅んでからの動向はよく分からないとのことで、小田原の役ののちに韮山城などとともに廃城となったと考えられているぐらいとか。

明治以降は別荘地などとなったようだが今は公有地化され、史跡公園として整備されている。国指定史跡。


朝イチで背後の山中にある2つの砦に登ってから、ボスみたいなここをスルーするのもと思って立ち寄った😅

初っ端の第四曲輪


現在位置(Googleマップで)

登り口は城の東西両側にあるが、駐車場が東側なので東から登る。

かつては朱塗りの鳥居をくぐって登っていたが、設えられた階段が傷んでいるらしく、新たに右側に階段の桟道が付けられた。

旧道は上部で塞がれている。


階段を登ってゆくと、さすがに後北条の重要拠点らしく、ものすごい急斜面で守られた様子が😨


つづら折れに付けられた階段道を登ると、すぐ上で左に分岐している。

ここへ入ってゆくと、第四曲輪と城内側を仕切る堀切に出る。

網代山砦の南端にあったのと同じぐらいのサイズだが、こういう雰囲気なので見逃しそう…😂


その外側に広がる第四曲輪に上ってみる。

中央に説明板が立っていて、縄張図や発掘調査の様子などが載っている。


南端の土塁。

地山を削り残して土塁に仕立てたもので、南の網代砦に続く尾根から侵入してくる寄せ手を迎撃する役割を負っていたとか。

いまは向こう側がヤブ、その先は県道の切通しに分断されて、往時の面影は見えない。


この堀切から第三曲輪の下を通って大手道まで桟道が通じているが、ここはさっきの分岐まで戻って、裏側から登ってみる。


第三曲輪の向こうに大手虎口が…


往時から道があったか弁天社の参道として後付けされたかはわからないけど、急傾斜の切岸にムリヤリ付けられたような感じも…


そして、第三曲輪に立つ弁天社。


もっとも、ここは神社を建てるときに切り下げられたようで、本来は南側の段の上と同じ高さだったらしい。

この階段の上が、本来の第三曲輪があった高さという。


いまは幅広の土塁のようになってしまった第三曲輪を、北の端まで進んでみる。


突端からは、大手道の虎口が俯瞰できる。

たしかに大手道はこの曲輪の南側の下から登ってきて、ここから攻撃できる位置にある。

この曲輪も防御に重要なところだったことが窺える。


説明板の縄張図を見ると、この第三曲輪の北から海の方へ続く斜面に小さな曲輪がいくつも描かれているが、ヤブなだけでなくトラロープ規制されていて入れない。


弁天社の横を通り抜けると、左側に虎口。


説明板によれば、もとは大きな堀切で跳ね橋が架かっていたが、のちに少し埋められて門が据えられたとのこと。

柱のレプリカが3本立っているが、右の第二曲輪側の2本が跳ね橋のもの、左の第三曲輪側の1本が門のもので、門は跳ね橋の向こう側の柱穴を流用したらしいとのこと。

柱のレプリカの傍らに積まれた石垣…


虎口から大手道を降りて、振り返ってみる。

たしかに、曲輪の裾を登った先でクイッと右に進路を折られ、狭い虎口に入る坂虎口だな…


そしてこの大手道、いまは第四曲輪横の堀切に桟道で繋げられているが、かつてはつづら折れで下まで降りていたとのこと。

よく見ると、その道形が残ってるわな😮


もちろん、下は県道の法面でバッサリなので、ここから下山することは出来ない。


つづいて、虎口の北の方に付けられた道をたどって第二曲輪へ。

この道に敷かれてたり側面に積まれてたりする石は、さすがに後補か…?


第二曲輪には、柱穴の位置を示すレプリカがたくさん並んでいる。


この南側の土塁が、また立派✨

階段で登るようになっている。


この上からも、大手道と虎口が一望できる。

ちょうど大手道と正対する位置😨

向こう側が第三曲輪の突端。

ここは、大手道を登ってくる寄せ手に対して東西両側から斉射を加える最前線だった😨
なにしろ突破されたら城は終わりだから、守る側も必死…

この土塁は曲輪の南辺に続いている。

だいぶ大人しくなっているようで、基部の幅から想定される高さはもっとあったようす。

海側に土塁はなく、説明板によれば敵が海から重須側に上陸して攻撃してくるという想定のもとに築城されたためと考えられているとか。


この曲輪の一番奥、第一曲輪の脇に立っているのが、この城址のシンボル的な櫓。


ここに柱穴が見つかったのと、他に主郭たる第一曲輪への登り口が見つからなかったことから、両者を結ぶ通路の役割も兼ねていたと考えられているとか。

その下、第一曲輪の段の裾を走る空堀。

安山岩の露岩を削り取ってこの形にしたらしい。


堀の南端には畝がある。

ここから麓に向かって竪堀が落ちていて、ここを登ってきた寄せ手が堀に入れないよう、意図的に削り残したものとのこと。


ここから櫓へ登れば第一曲輪に出られるが、まずは北側の海に面した曲輪の方から回ってみることにするか。


伊豆 長浜城 その2に続く)

 

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(2025年3月27日 記)