JR飯田橋駅前から始まった江戸城外濠をめぐる探訪も、中間点すぎの四ッ谷駅まで来た。
ここからの外濠は中央線の線路から離れて、この写真の左前方に向かってゆくようになる。
喰違見附へ
外濠に沿ってつづく上智大のキャンパス横の道を南へ下ってゆく。
この横に鎮座する土塁がまた立派なんだが、人通りが多くて撮るのに苦労するところ😂
天端も遊歩道になっていて、歩いて往来できる。
小田原の総構堀を逆さまにしたような?ドでかい土塁😮
土塁の外側に横たわる外濠は、上智大のグラウンドになっている。
江戸城時代に植えられたという松が上手く覆ってるな…
向こう側には首都高新宿線の赤坂トンネル、そして迎賓館赤坂離宮。
そして、尾張名古屋藩屋敷を抜けたあたりが、喰違見附。
外濠を渡る土橋がこんなにキレイに俯瞰できるなんて〜🤗
ここは江戸城では珍しく枡形門でなく、土塁を食い違わせたやつで、喰違木戸が設けられたとか。
なるほど🤔
北側は、内側に空間がある。
さて、外濠はさらに南へ続いている。
喰違見附から南は、また湛水されてるな…
これぞ水堀の姿✨
最後の最後に…思わぬ刻印パラダイスが
ここから先、外濠の城内側はニューオータニとかの敷地になるので、外側へ回った方が良い。
赤坂トンネルから出てきた首都高の向こう側になる…
と思ったら、歩道から柵のすぐ向こうに俯瞰できる✨
この向こう側に井伊家の屋敷があった。
下ってゆくと樹木で見えにくくなるので、上の写真あたりから見下ろすのが良い。
このあたりは後世に護岸されている。当時は土だったか。
そして、外濠はこれで終わりではない。
赤坂見附交差点から東に伸びる弁慶濠…
奥に見える、ドでかい石垣😮
あれを見ずには…💦
ガーデンテラスの紀伊和歌山藩邸の石碑横から入ってみる。
この「紀尾井町」という地名も、この紀伊徳川家、上智大横の尾張徳川家、そしてニューオータニそばの井伊家の屋敷がそれぞれあったことからの命名という。
歴史は「今」に繋がっている❗️
さて、ここから弁慶濠に沿って「テラスの小道」なる遊歩道を進んでゆくと…
ガーデンテラス、羨まし…🤗
そして、地下鉄赤坂見附駅の入口あたりから、赤坂御門の枡形内側の石垣を見ることができる。
コイツは切込接ぎだが乱積みなのか😮
この出っ張りか。
高麗門+枡形+櫓門の組み合わせは江戸城の門で一番多いパターンだろうが、ここもそうだったか…😮
とりあえず、遺構が残る外濠はここまで。
ここから先の外濠は南へ下って溜池山王、虎ノ門を通って新橋〜数寄屋橋の方へ抜けていたが、いまは虎ノ門のところに石碑が立っているだけで外堀通りの下に埋まっていて、跡形もない。
そんな中にあって3.5kmもの区間に遺構を残し、ビル街に埋もれることもなく生き延びたこの外濠は、奇跡の産物にしか見えなかった…
(江戸城 北の丸周辺に続く)
★江戸城外濠
東京都千代田区、新宿区、港区
飯田橋、市ヶ谷、四ッ谷、永田町・赤坂見附の各駅から徒歩。車は近くのコインパーキング等へ。
(2025年2月11日 記)