御所陣屋は東松山の町から東北東に7kmほど行った荒川右岸の広大な平野の中にある。横見神社の境内になっているが、奈良時代の和銅年間の建立といい延喜式神名帳にも記載された由緒ある神社。また隣に御所稲荷塚古墳がある。
こんな大先輩を取り込んだ陣屋ながら、歴史はまったく分からぬのだという。
雨も降っていて体調もイマイチだったので山城アタックはサボって、近くの『ふれあい広場』の駐車場に車を置き、徒歩で訪問した。
県道271号から横見神社前の道へ入るところに案内が立つ。
道路側を向いて「→横見神社」とある。
しばらく歩くと、神社の鳥居が見えてくる。
2003年11月に建てられたという。
この神社の境内が陣屋跡というが、鳥居のある広場のすぐ西隣に、御所稲荷塚古墳がある。
見ると、小さな曲輪のように直線的な盛り上がり。
中には、円形らしい盛り上がりが重なっている。
上円下方墳というやつか。
そして、てっぺんには神社があるようす…
さて、陣屋は横見神社の敷地がそれというので、赤い欄干の橋を渡って入る。
この橋の下が、陣屋南側の空堀らしい。
なるほど😮

まずは神社の境内へ。
社殿は新しかった。
鳥居と一緒ぐらいに建て替えられてるのかな…?
神社の西側は社叢林になっているようで、下草たるササもけっこう生えた森。
南側が一段低く、帯曲輪のようになっている。
この向こう側に外周の堀が走っているんだが…
ここは、なぜか古墳を囲むように南に折れていた😮
この堀、ひょっとして古墳の周濠を拝借した…?
さて西側はどうなのかと見てみると、向こう側の水田との間に幅1〜2メートルばかりの溝が見える…
これが、堀か…?
神社の東側にも空間が広がっていて、本殿の裏側から回ることも出来る。
その北辺の堀がどうなっているか覗き込んだが、完全な用水路だった😂
堀を利用して通したかもしれないし、いかにも土の堀のような凹み方ではある。
東側の空間は、けっこう広大。
この東側を仕切る堀は、多くの部分が向こう側の住宅を建てるときなどに埋められてしまったようで、幅がうんと狭くなっていたり全く見えなかったりしている。
ひとの家の庭との距離がごく近いのでそそくさと退散して、深いヤブになっている北側へ回ると…
何となく完全な断面が残ってるような…😮
見られる遺構はこれだけだが、十分😊
江戸初期はまだ中世の名残がプンプンしてて、村とか押さえるにも武力がいる時代だった、って事なんだろうか…
今に由来が伝わらない、こんな感じの陣屋、実はけっこうあったのだろうか…
★御所陣屋
埼玉県比企郡吉見町御所
近くに車を停めるところ無し。ふれあい広場駐車場などから徒歩が良い。
平城
(2025年2月12日 記)