比自山城は伊賀の街から2kmほど西、国道163号が盆地を抜けて山あいに入ってすぐあたりの南側の山中にある。地形図では標高298メートルのピークになる。
天正九年(1581年)に織田信長が5万の大軍をもって一昨年の恥をすすぎに伊賀に侵入した第二次天正伊賀の乱にて、伊賀衆が丹羽長秀の侵入を数度にわたり撃退するなど頑強に抵抗した拠点として知られる。麓に構える城の名前になっている百田藤兵衛と福喜多将監が中心になって伊賀衆を糾合して比自山城に籠ったが、兵わずかに3500だったという。戦いが織田方の完勝で終結した後に城がどうなったかは不明のようだ。
登城ルートは下図の通り、城域から北東に伸びて『ふるさと芭蕉の森公園』へと降りてくる尾根をたどるのだが、園地を出ると道が全く無いので地図とGPSが必須となる。滑落の心配はほぼ無いが、尾根分岐での道迷いやヤブなどに注意がいる。
地形図には東側の西蓮寺北と南から登ってくる道が描かれているが、城内から見た限りそちらから登ってくる道のようなものは見えなかった。
(電子国土webの図上に筆者作図)
この日の最初に登城した。ホントは麓にちかい百田藤兵衛城を先に訪問したかったのだが、けっきょく通過して先に比自山城を探索、百田藤兵衛城へは登り直すハメになった😅
麓の『ふるさと芭蕉の森』の駐車場へ。
ここには縄張図入りの説明板もある。
駐車場から、まずは登ってゆく園路へ。
コンクリ舗装されているが、車の通れそうな道としては急坂。
途中で右に降りて、常住寺に寄った。
ひと登りすると、遊具のある児童公園みたいなところを通り、コンクリ道のどん詰まりまで行ったら右手の階段道へと入ってゆく。
なお、ここから直進方向に下ってゆく道へ入ると、東側の谷に横たわる菖蒲池を通って百田藤兵衛城の西端の堀切に行くことが出来る。
さて、階段道もすぐ終点になるので、先の尾根上に付けられた道を辿ってゆく。
なんとなく堀底状にも見えるが、城はまだまだ先。
ってか、道無くね?🥶
踏跡は見えず、こんなヤブもけっこうあるが、怯んではいけない💪
で、標高でいうと250メートルより少し先、百田藤兵衛城から登ってくる尾根が合流する少し上あたりで…
左側から、幅広な道みたいなのが登ってきている😮
事前に何も調べてきていなかったので、つい「比自山城と百田藤兵衛城を結ぶ軍道の跡か?」なんてヌカ喜びしたが、これが何かは全く分からぬ。
何しろ、その上の尾根に道形は全く見えない…
雑木林の尾根を登って小さなピークを越えるとまたヤブになるが、地面は見えるので構わず突っ込んでゆくと、城山の裾らしい最後の登り。
ただ、まわりに遺構は見えない…
なお、下山時はこの標高250メートルあたりのピークから東に伸びる尾根に入り込みやすいので、注意。
ここは西の方が尾根続きのようなので、登ってゆく。
そして、登りきった先、次なる登りの裾…
何か、あるよ…🤗
これは…😮
(伊賀 比自山城 本編その1に続く)
(2025年1月21日 記)