三行城は津市の北のほう、国道23号中勢バイパス沿いの『道の駅 津かわげ』の北1kmほどと近くにある。一般にはほとんど知られていないと思われ、城域内を県道が突っ切ったり認定保育園などが設置されたりと、開発で往時の姿はだいぶ失われたようす。
築城時期や築城者それに歴史などまったく分かっていないとのこと。発掘調査では14世紀頃の陶磁器がわずかに出土した程度とか。
冬休みの西への遠征もいよいよ三重県に入り、その最初に訪問した。
立派な県道の南側に、城の南西側の曲輪があった山が残っている。
県道を挟んで反対の盛り上がりも、曲輪だった場所とのこと。
めっちゃ狭そう…
登れるかと思ったが、ススキのヤブがメチャクチャで、足元の悪さで捻挫でもするとイヤだったので、ここは見るだけにした😂
県道に出る。
ここは曲輪間の尾根を崩して造成されたところだろう…
左隅に北側の小曲輪、右に南西側の曲輪。
そして、城山の西の端まで行くと、なんとその北西側に入口がある😮
これはまったく予想していなかった。
この山、踏み込んで良いのか…
簡単な説明板が、入口であることを示している。
入ってみると、かなり荒れている。
しかし、たしかに斜面が急に立ち上がっていて城塁らしい😮
右手上には、人の背丈ぐらいの高さに曲輪らしい空間もある。
城入口からは、城山の裾に沿って道のようなものが東に入っている。
これを進んで一段登ったところが、帯曲輪のようになっている。
ここ、縁が低いながらちゃんと切岸っぽくなっている😮
下まで2〜3メートルだったっけ…
そして、そこから城山のてっぺんに向かって斜めに登る、これまた道のようなものが伸びている。
しかも、上の方が虎口みたくなっているらしい😮
登ってゆくと…
虎口やん🤯
これを目にしてしばらくの間、どうも後補のように見えて、しょうがなかったのだが…
この城は戦国時代ごろまで使われていたと言われていたということで、ならばこんな感じの虎口は自然だろう。
右側には、登ってくる寄せ手を迎撃していたらしい曲輪もある。
ここから見る虎口、ちゃんと1列縦隊にさせた寄せ手を側面上から攻撃するキルゾーンになっているのが分かった😨
ここはまだ、てっぺんではなかった。
すぐ前で一段高くなっていて、道は掘り込まれた虎口状になって登る。
その上が、またかなりの広さのある曲輪。
城山の最高所の北〜東を取り巻いているようだ。
端っこは鋭い土壁になって落ちていた。
その下には、思いもしなかった広い曲輪が広がっている😮
曲輪は南北二段に分かれていた。
北側はテニスコートぐらいの広さ。
南北間の段差は高さ1メートルぐらい。
なかなかハッキリと見え、しかもキレイなカーブを描いているのに萌える✨
南側はさらに広い。
マダケが濃密で奥まで見通せないが、野球の内野ぐらいはあると思う。
西の端まで行ってみると、なんか縁がわずかに盛り上がっている。
土塁で守られていたか?😮
そして、外側は麓まで一直線の急斜面になっていた。
きちんと切ったり盛ったりの土木工事がされていたようす。
ここも萌えポイントだった💕
このあたりはヤブが深くてこれ以上の探索は厳しそうなので、虎口の方に戻った。
そして、最上段に向かって登り始める。
まだかなり上…
道はここで終わっているので、あとは手足を使っての登り。
一段登った上は、武者走りのような細い帯曲輪になっていた。
てっぺんまで、ヤバい傾斜の登り💦
しかも、🌿🌿
ほんの数メートルの登りだが、ホールドスタンスは木の根やササしかなく、かなり苦しい。
そして、登った上は強烈なササヤブだった😂
周囲も見えないし、何か遺構があるわけでもなし、よっぽどの城好きとか調査者とかでもなければ絶対に来ないようなところ🤣
でも削平されていることはハッキリ分かる。
広さは、東西10メートル、南北4メートルぐらいかな?
ちゃんと削平されていて、ヤブのわずかな隙間からは南や西の様子が窺えるようだったので、物見台とかだったかも知れん🤔
さて、踏み込めそうなところは何とか見て回れたど〜🙌
他にも曲輪のあった場所が残っていそうだったが、遠征中だしあまり時間もかけられないので、ここまでで退散っ💨
今回探索したのは6つあるという曲輪群の一つだけだったが、ちゃんと城らしい土木工事をされていたのが印象的だった。
曲輪間の空間はすっかり様子が変わったようだが、まだ残っている曲輪群は何とか残ってほしいところ。
★三行城(みゆきじょう)
三重県津市河芸町三行
周囲に車を停める場所無し。道の駅から徒歩でも20分くらいだろう。
平山城
(2025年1月9日 記)

























