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奥牧野城は相模原市の西端、旧藤野町からかなり南の山中に入った秋山川沿いにある。川が蛇行する先端から東に伸びる丘を丸々城域に取り込んだような感じ。

戦国時代に甲斐の武田氏に対する後北条方の最前線で、激しい合戦も起きているとのこと。 

 

この日は南の伏馬田城からスタートしたが、南面からのアタックが難関で時間を費やし、朝かなり早くスタートしたのに二つ目のここへのアタックは昼を過ぎてしまった😅


現在位置(Googleマップで)

さて、以前は県道35号から前川橋を渡って簡単にアクセスすることが出来たが、老朽化により橋が封鎖されてしまったので南側から大回りしなければならなくなった。

ここが、その入口。

封鎖はされていないが、奥の道は普通乗用車では無理だろう。


道はコンクリ舗装の上に土砂や木の葉が積もった状態。

封鎖したての廃道の雰囲気。


ここをしばらく歩いてゆくと、左下の沢が道から離れていったと思うあたりで左側に小高い盛り上がりが見えてくる。

これが城の南東端の丘。


近寄ってみると、かなりの急斜面😮


なんかこの手前の平場も奇妙な感じで、後世に均されたようにも見える…

ともかくも、ここをムリヤリ直登する必要はなく、丘に沿って北に歩いてゆくと、道のようなものが丘に登っているのが見えてくる。


この道の向こう側には、城塁となる直線的な斜面が向こうへ伸びている。

その下にも、かなりの広さの平場が広がっている。
奥の方は段々になっているようす…

さて、丘の上に登ってみる。

登ってゆく道は、車道とまではいかないが、人が並んで歩けるぐらいの幅がある。


丘の上に登ると、道は180°ちかくターンし、尾根の左側を派手に削ぎつつ登っている。

この道は、後補だな…

違うかも?🤔


道は少し低くなった鞍部のようなところに登っていて、その両側に道のようなものが伸びている。

まずは、さきほど下から見上げた東の方から。


登ると、石仏らしいものがおさめられた小屋掛けと、小さな祠がある。

ちゃんと削平されていて、曲輪として機能していたらしい感じ。


祠。


つづいて、主郭の方へ。

削り取られた道を登ってゆくと、最高所に到達する前に小さな段。

その手前が曲輪のようだ。


登ってゆく段にも道が付けられている。


この段、ヤブに覆われて様子がよく分からないが、かなりしっかり作り込まれているようす。


壇の上に行くと主郭…

と思ったら、もう一段だけ入っているようだ。


北側はハッキリしないが、南側には高さ1メートルぐらいの段が入っている。

モッサモサで激しく見えにくいが…😂


この小さな段を越えれば主郭だろう。

全体的にはススキ野原になった広大な削平地だが、凸凹がある。


この凸凹で実は曲輪を区切っているのかも知れないが、何しろ道のまわり以外はススキ野原で、形がサッパリ見えない😂

中央少し先の道の終点らしき広場まで、こんな感じ。


何もない平坦な郭内を西の端まで行くと、なんと倒れかかった金網が残っていた🤯

過去に、ここに何かを造ろうとして道を拓いたのか?


西の端から下は、かなりの急斜面になって落ちている。

下は、大きく蛇行する秋山川。

ここは、ちゃんと守ってたな…


北側の縁に立つと、秋山川や封鎖された前川橋などを見下ろすことができる。

いまは樹林で眺望も得にくいが、対岸の奥牧野の集落も一望のもと。

この城が果たしていた役割が分かるところ。

 

城はこれだけで素朴、改変も入っていそう。

土木の跡としては、見どころは乏しい。

だが目の前が甲州という境目なばかりに、こんな山の中にまで城を築いて守らなければならなかったという緊張感は、十分に味わうことが出来るだろう。

 

★奥牧野城

神奈川県相模原市緑区牧野

秋山川対岸からの前川橋は通行止、南側の城付近に駐車場所無し。十一面観音下のスペース利用が良い。

丘城?

 

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(2024年12月31日 記)