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郷山城は横須賀市の中央部、横浜横須賀道路の衣笠インターチェンジの北西1km強のところにある。JR横須賀線衣笠駅から歩いて20分ぐらい、衣笠中学のすぐ南の小ピーク上。

これが城なのかと思うほど土木工事された跡の無いただの山だが、衣笠城の北側を押さえるために築かれたものと考えられているという。


この日は横浜みなとみらいで開催されていた、お城エキスポには午後に乗り込むことにして、午前中にこの辺の城をいくつか回るつもりでJR衣笠駅から徒立ちでやってきた。


現在位置(Googleマップで)

平作川右岸の住宅街が続く谷戸の中を通って丘陵地帯へと入って行き、衣笠中学の前の住宅地を抜けると、ソーデンセンの下あたりから周囲が雑木林に変わる。

 

城へのはっきりした登り口は無いが、峠みたいな登りの頂点少し下の右側のに、先人が付けたらしい踏跡のようなものが入っている。

 

ここから入れば良いが、この上が堀切のような切通しになっていて、いかにも城の末端のような雰囲気😮

 
もちろん車道を通す時に掘り下げて今の姿になったのだろうが、この道は往時もここを通っていて、それを監視するためにこの城が築かれたと言われているとのこと。

 

となると、南から眺めるこの風景から往時の様子が妄想できそうな感じ…🤗

 

今回は北側から踏跡のようなものを辿って行った。

もっとも、踏跡はすぐに消えてしまい、あとは登れそうなところを選んで尾根に登ってゆくだけ💦

けっこう鋭い斜面が立ち上がっている。


城内から東に伸びて、先ほどの切通しすぐ上までほぼまっすぐ伸びている。

切通しのキワからは、下の車道を見下ろす位置関係になって、監視や封鎖に好都合なところ。

 
車道も見える…

 
さて、城内へはこの尾根に沿って登ってゆくのが良い。
削平などを施したような跡は見えない。
 

側面の斜面は、かなり急。

竹に掴まりながらでないと登れない💦

切岸加工を施したかどうかは分からないが、少なくとも砦を置くには良い山を選んだという感じ✨

 

尾根ある程度登ると傾斜がきつくなって周囲と変わらなくなる。

ここは登りやすいところを探して登ってゆく感じ。

 

そして、てっぺんの一段下の端っこ。

露岩が見えているが、虎口のような造作は全く無い。

 

そして、この上は曲輪のような平場が造成されているようだが、アパート一室ぐらいの狭い空間なのにササヤブで様子が全くわからない…😂

 

その奥、ヤブが途切れて段になった上が、主郭のようだ。

もう、内部が見えそうな感じが全くしないが…💦

 

ここから振り返ると、一段低い玄関のような曲輪らしい様子が見て取れる。

モッサモサで、ヤマアラシか何かみたい😂

 

まぁヤブだらけと分かっていても、段の上の主郭に突っ込んじゃったんだが…

主郭内部は、ご覧の通り😂

 

それでも部分的にヤブの薄いところはあって、だいたいの様子は分かった。

主郭は全体がアパート一室程度の広さ、南側が若干低い帯曲輪のようになっていて(かなり外傾していて曲輪でないかも知れない💦)、これが西から北西に向かって回り込んでいる。

 

北側が一段高いが、櫓台というほどハッキリ盛り上がっておらず、東西に長い土塁みたいにも見える。

 

すぐ南を4車線の久里浜田浦線が通っていて喧騒が城内まで聞こえてきているが、城域は道路まで全然届いておらず、東側に張り出す尾根以外の方向は急斜面で落ち込んでいる。

それでも、切岸というほどでもない。

 

ざっと、これだけの城らしい。

戦国時代なら烽火台+αぐらいだろうが、少なくとも中世の最初の頃はこれでも立派な砦として機能したのだろう。

もともと南北朝時代ごろまでの武家が築いた山城はごくわずかな土木工事しか施されないのがふつうだったらしく、三浦氏の本城だった衣笠城さえも深く帰依していた大善寺や蔵王権現などの隣に陣を置いただけのような見た目で、防御などに供するような土木遺構はほとんど無い。

この城が衣笠城と同時代に間道を守るために築かれたとなれば、まんま自然の小山なこの城が実に良い場所を選んだものと、感心せずにはいられなかった。

 

このあとは衣笠城に向けて切通し道を南に下っていった。

その先の県道から見上げる城山が、また如何にもな凛々しい姿だった✨

 

★郷山城

神奈川県横須賀市平作

JR横須賀線衣笠駅から徒歩20分ほど。車の場合は駅前などのコインパーキング利用。

山城?

 

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(2024年12月26日 記)