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主郭の南に広がる曲輪たちはそれほどの広さがなく、南北に細長い段郭を4段ばかり積み上げたやつだった…

その末端から一段下に降りて、突端…

 

何これ❗️カッコイイ〜🙌

 

曲輪の裾を縁取っている堀切だか横堀だかが見せる、シンメトリーな曲線美✨

思わず見惚れてしまった。

 

この堀切は少し幅のある尾根をきれいに抉っていて、左右両方とも竪堀状になって斜面を降りている。

右側、北の方には大きな谷が横たわっていた。

 

これはさすがに自然のものだろうが、主郭の南西側で見た『畝状横堀群』かと思うような横堀2本は、どちらもこの谷に落ちてくるようだ。

谷が集まっている様子から水の手のようにも見えたが、上から見た限り水が流れている様子は無いな…

 

いっぽう左側、南のほうは薄くなりつつ下って、下の方を東西に走る横堀にぶつかる。

 

まだ横堀あるの〜?🤯

 

というところだが、館跡はまだまだ下まで続く。

もちろん、反対の西の方にもまっすぐ伸びている。

 

薄くなった竪堀状を降り、底に立ってみる。

このあたりはだいぶ浅くなり、外側の土塁が不明瞭になっている。

 

しかし…

 

なんということだ😮

西の方は再び断面が大きくなり、端っこではこんなにキレイに見える✨

 

しかも、その外側にはさらにもう1本の堀切が並走していた😮

何という念の入った土木工事だろう…

 

この先、尾根は麓まで真っ直ぐ降りてゆくようで、横断するような堀切などは無さそう…

 

が、左右の麓を見ると…

右の方は、さっき見えた水の手のような谷のさらに外を降りてきたらしい竪堀だか横堀だかが、大きな断面で尾根をしっかり守っている😮

 

で、反対側にも❗️

 

右側のと比べるとはるかに断面は小さいが、外側を土塁にしっかり区画された横堀が水平に伸びている😮

下には、もう麓の畑や民家が見えるのに…

こんな麓の方まで広がってたのか❗️この館…

 

せっかくなので、横堀まで降りて西の方へ行ってみた。

堀は進むにつれて斜面を下っていき、ついには麓に降りた…

そして、そこには尾根の北側を守っていた堀も降りてきて、尾根の下で出会って終わっていた。

まるで

 

船の舳先🤯

 

のようではないか。

ここは麓と同じ高さまで降りてきているが、このあたりにも獣避け柵が張り巡らされており、しかも扉が無い。

ここから退城することは出来ない。

 

そのことを確かめてから、館跡の東の下の方を確かめるべく、横堀を東の方へ戻ってみる。

この横堀の断面を改めて見ると、幅も深さもそんなに大きくはないものの外側の土塁がハッキリ残っていて、斜面にしっかりと造り込まれた様子が伝わってくる。

 

この横堀も、東に進んでゆくといつしか武者走り状の細い平場に変わる。

 

そして館跡の東側に出るところで、館ノ八幡神社に向かってつづら折れで登るようになる。

後世に参道として手を入れられた?

一部めっちゃ不明瞭だけど…

 

消えかけたつづら折れを拾いつつ登った上に構える館ノ八幡神社は、削平もされていない斜面の中腹に立つ、ちっこい祠のような感じだった…

麓からの道が獣避け柵に塞がれた今でも、手入れはされているような感じ😊

 

この上は一見斜面がずっと続くように見えるが、すぐ背後に小さな堀切が走っている。

 

この堀切を東へ進むと、館跡の東側の斜面に出る。

そして見えてきた、浅いけど大きな竪堀…

 

この竪堀を横断してさらに東へ進むのは骨が折れるので、館ノ八幡神社のところまで戻って一段上から竪堀の上部を辿ってゆくのが良い。

すぐに現れる、今見た竪堀の最上部…

 

通過すると、すぐ同じような竪堀の上部…

 

覗き込むと、めっちゃ薄っすいが相当な急傾斜をまっすぐ落ちている😨

 

ここは単なる斜面ではなく、帯曲輪のようなものが走っている。

だいぶ外傾しているが、じゅうぶんに歩ける。恐らく人工的に何らかの手が加えられているだろう。

 

その先のこの凹は、竪堀ではなく自然の崩落の跡か…?

 

さらに進むと、これまた大きな竪堀の横っ腹にぶつかる😮

 

最初に登ってきたところと同じくらい大きな断面のやつで、主郭の南端あたりの方向へ登っている。

 

主郭部のいちばん下の曲輪の直下から出ているようだが、そのあたりを歩いていたときには、様子を確認しないでスルーしてた😅

下の方はかなりの急傾斜で下っていて、高所恐怖症のワタシには目が眩みそう…😂

 

南西のほうで横堀が何本も並行して下っているあたりなどは確認出来ていないが、これでだいたい館跡の全域を回れたようだ。

 

もうこれでお腹いっぱい。

退散〜っ💨

 

ちなみに、最後の竪堀は登城道の防獣柵を通ったすぐ先で、山肌を降りてきているのが見える。

少々浅いが、杉の木と比べるとスケール感がわかる。

 

何しろ物凄い土木工事量に圧倒されそうだが、その割に守るべき曲輪などが狭く、最高位のはずの主郭にいたっては削平さえきちんと為されておらず自然の山のままに近い、といった有様にかなりの違和感を覚えた。

いざ戦闘になれば急峻な地形とトリッキーな城塁が大いに力を発揮するだろうが、これだけ広大な館を守る兵士たちは一体どこに駐屯していたのだろう…

 

この館が『遠野物語拾遺』に出てくる飯豊館と同一視されているとか、前九年の役(1050〜1062年)のときに安倍氏が築いたとか言われていることは後日知ったが、古代の支配者たちの戦闘や築城などが中世の武家のそれと異なっていたことを示すのだろうか…?

 

★花館

岩手県遠野市宮守町

駐車場など無し。溜池の堰堤脇に停めたが駐車場所ではないと思われるので注意。

山城

 

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(2024年11月29日 記)