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舛沢山館は盛岡と いわて沼宮内の中間より少し北、好摩駅の東側の国道4号沿いにある。旧奥州街道が裾を通り、北には芦名沢川が西へ流れている。

歴史は全く不明らしく、南部氏が九戸政実の乱後に豊臣秀吉の厳命により実行した城の存廃処分の目録たる『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上之事』にも載っていない。


残暑逃れの岩手遠征のラスト、盛岡に帰る途中に訪問したが、車を停められる場所を探してウロウロした挙句、少し離れた新塚一里塚から徒歩で訪問することにした。

その一里塚は、高さ3メートルぐらいに土を盛った、ホントの塚だった😮

ここからテクテク北へ歩いて状小屋の集落に入り、まずは東側からアプローチを試みた。


が…


南から近づくと、集落の向こう側に館のある小山が正面にこんもりと盛り上がって見えてくる。


道は館の南東側の裾を這っているが、こちら側には登ってゆく道などは無かった💦
ヤブを強引に突破すれば入れないことはないだろうが、かなり深い…

ここは、西を通る旧奥州街道から入る。

 

現在位置(Googleマップで)

入口は、奥州街道から南と北の両方に登る道があるが、ここは北へ。

最初は🌿🌿だが、すぐに森の中に入って地面の見える道になる。


館の北西側は、緩やかに登ってゆく斜面になっている。


この斜面を登りきると、なだらかな尾根の上に出る。

道はさらに登っている。


途中に、ごくささやかな段があった。


左側に、幅3メートル弱の帯曲輪みたいなのが続いているようにも見える。

気のせい?😅


数分で、てっぺんが見えてくる。


周りの斜面は、切岸加工なんぞどこ吹く風と言わんばかりの、自然のまんまの緩斜面。

これでも、埋められたり削られたりされたような跡は無さそう…


主郭には虎口のような造作もなく、そのまま入ってゆく。

テニスコートぐらいの広さで、TVアンテナが立っている。


入口ちかくには三角点がある。

「状小屋」という四等三角点とのこと。


主郭には土塁で守っているような跡もなく、縁は丸くて下るにつれ急角度になっている。

幼年期山地を凝縮したような感じ…


主郭の南側だけは、幅そのままに緩斜面で下っている。


そして30メートルも下ってゆくと、小さな横堀状が見えてくる。


深さ30cmぐらいしかない浅さだし、おまけに濃厚なヤブ、木漏れ日を浴びてパンダ状態の視野の中にドップリで、分かりにくいったら…😂


それでも、主郭側は本来の斜面よりかなり削り落としているようだし、外の土塁もハッキリ見える✨

間違いなく、防御のための造作だろう。


この空堀の外は斜度が増し、数メートル先も見えない猛烈なヤブになる。

これは、ちょっとムリ…


ここはコレだけ。

退散っ💨


遺構といえるものは主郭を取り巻く斜面と東側の横堀状だけだろうが、北上川と芦名沢川の合流点先端近くで奥州街道沿いという立地が、重要拠点だった面影を漂わせているように見えた…

個人の感想です😅

『諸城破却共書上之事』にも載っていないということは、その時代には既に城と見做されていなかった、古い時代の城なのか…?


ひょっとして調査なんぞになったら、思わぬ物が出てくる…?? 

 

★舛沢山館

岩手県盛岡市玉山馬場状小屋

駐車場無し。馬場状小屋コミュニティセンターが近くにあるが使わせてもらえるかは未確認。

山城

 

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(2024年10月9日 記)