三の丸の北東の端っこから降りてきたので、ここからは西に進んで、大手から戻ってみるか。
まずは南へ回り込んで大手の方を遠望するが、内堀はだいぶ埋められ大手の土橋もどこにあったか分からなくなっていた💦
それでも、後補のコンクリ階段の両側あたりから西に伸びる石垣は、現存のようだ。
これが車道沿いに横たわってる😮
駐車場まで登ってきた車道が、どうやら埋められた堀の上を通っているらしい。
そして、反対側にゴチャゴチャとした石垣。
これは台場居小屋の跡らしい。
そして、その奥の海を見下ろす端のほうに、四番台場?のわずかな盛り上がりが見える。
盛り上がりの天端の縁には切石が並べられている。
ここから望む津軽海峡。
向こうには、本州の竜飛崎方面がハッキリ見える😮
西隣の三番台場は削り取られて失われたようだが、削ったところに通された車道の向こう側に一番、二番の台場もある。
土塁に切れ目を入れてそこに大砲を据える構造は、戸切地陣屋と同じっぽい。
ん?
そうすると、さっき見た四番台場は今見てきた土塁の盛り上がりではなく、横の低くなってたとこか?😂
砲眼の外側もちゃんと見なかったし😅
ともかくも、津軽海峡を通る船舶の監視が藩の重要な使命だったこと、そしてこの城がその役目を担っていた重要な城塞だったことが、このロケーションから伝わってくる。
で、大手門の前へ登る階段、こんなところにありやがった😂
🌿🌿でね―が…
階段を上ると、そこは小広い広場だった。
正面に二の丸の高い城塁がそびえていて、奥に三階櫓の屋根が見える。
が、大手門は影も形もないようだ💦
西の方には、隣の土蔵があった曲輪との間を仕切る石垣がわずかに残っている。
裏側が車道で削り取られて、今にも崩れ落ちそう…💦
それにしても…
大手門チャン、どこ行ったの〜?🥺
的な有り様。
ホント跡形もない…
トホホな気分で奥へ…
本丸の方へ近づいてゆくと、二の丸の主要部との間の城塁が鋭い😮
もっとも、ここにも石垣があったはずだが…
ここは二の丸の三階櫓下あたりが有料エリアになっているが、ノソノソしてたら時間切れになった😂
ま、大体のものは見られたから良いのだ😅
ところで、松前といえばサトザクラ。
もちろん小さい秋の今はぜんぶ葉桜、もうじき紅葉も始まろうかというところだが、ここは色々な品種の八重桜が植えられた、全国でも珍しいだろう桜の名所。
ちょっと見ただけでは南殿(ナデン)が多いようで、他に関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)などを見た。
この松前で生み出された品種も多いとのこと。
そして、城内の名前がついていない23本の桜に町内会の名前を愛称としてつけたとのこと。
見えたやつは、まず「福山」
そして、「清部」
幕府の命で海防の城として築かれたという松前城。
その矜持は、津軽海峡を見下ろす砲台からの景色に凝縮されていたようだった。
ここが戸切地陣屋のように本格的な洋式の要塞として築かれ、さらに十分な兵そして大砲などの武装が残って、しかも洋式軍学に基づいてバッチリ訓練されていたら、箱館戦争はどうなっていただろうか…
戦局のキャスティングボートを握っていたかも…?
箱館戦争では激戦の末に敗れて名を挙げることは出来なかったが、地元に愛され、地元で作出されたサトザクラにも彩られている松前城。
やっぱり、百名城なんだな😊
【完】
★松前城
北海道松前郡松前町松城
本丸の北の方、武家屋敷近くに駐車場がある。
平山城
(2024年10月5日 記)