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白石城は白石の町のほぼ中心、市役所の西隣の小山を占めている。東北自動車道や国道4号とJR東北本線のちょうど間、東北新幹線の白石蔵王駅からは西に少し距離がある。

天正十九年(1591年)奥州仕置により伊達氏の支配下にあったこの地を奪い取って蒲生氏郷に与え、家臣の蒲生源左衛門郷成がこの城を築いた。七年後には上杉景勝の領土となったが関ヶ原合戦の直前に伊達政宗が奪還、片倉小十郎景綱が入城した。以来江戸幕府の一国一城令下でも存続を認められて明治に至った。奥州列藩同盟がこの城で締結されるなど近世を通じて仙台藩の重要拠点であり続けた城だった。

1995年に三階櫓(事実上の天守)や本丸一ノ門、二ノ門、土塀が木造で復元された。2006年に続日本100名城に選ばれている。


夏休み遠征も後半に入ったこの日、翌日に前川本城の攻略を目論んで宮城県に入り、ちょうど前を通りかかることになったので寄り道して行った。

もう17時頃になり、あたりが薄暗くなる中だった…😅


現在位置(Googleマップで)

この日は歴史探訪ミュージアムの前から入城。

さっそく左側に石垣。


傍らに説明板が立つ。


矢穴石があるらしいので探すと、少し奥にあった🙌


積み方はこんな感じ。粒が揃っておらず表面もはつったりしていない、荒削りな野面積みか。

苔むしたり草が生えたりして、なかなかに見えづらい💦


しばらく進むと、大手門の横の下の方を通る。

大手二ノ門の屋根が少しだけ見える…


その先で、天守…いや三階櫓の下に出る。

二の丸の東の端っこにあたり、ここから本丸に入る。


正面は、復元された井戸屋形。


二の丸は駐車場になっていて、見どころはない。

しかし、北西の端っこから見上げる三階櫓台の石垣の迫力ったら✨


続いて、大手二ノ門をくぐって本丸へ。


その先、大手一ノ門の前が小さな枡形のようになっている。

さすがにピッカピカ✨


本丸は野球場ぐらいの広さか。

近世城郭ならまぁこんなもんか、というぐらい。

往時は御殿などが所狭しと並んでいたようで、これでも手狭だったのだろう。

その北西の隅に天守が鎮座している。


内側から眺める大手一ノ門。


天守代わりの三階櫓は本丸の北西端に鎮座。

御殿などが本丸を埋め尽くしていた往時も、ひときわ高くそびえ立っていたろう。


仙台藩の支城でもあったため天守を名乗るのを憚り「大櫓」とも呼ばれていたとのこと。
明治の廃城令で取り壊されたが、平成に入って木造で復元。

その足元、一段高いところに復元されたらしい鐘堂。


その建っているところは、天守から東に延びる一段高い段の上。


天守や大手門のあるところは石垣で固められていたが、西の方は土塁で守られていた。

なんかホッとしたのはナゼだろう…?😂


そして真ん中あたりに土塁の切れ目が入っていた。

後補かと思ったら、裏御門跡とのこと😂


ここは土塁の断面を一望できる。


本丸だけが開放されている近世城郭としちゃ、こんなもんか。

ラストは片倉小十郎景綱公の高い碑を眺め、遺徳を偲びつつ退城するか💨


近世城郭は市街地にあるものが多く、外郭などの遺構が失われて往時よりごく狭い範囲しか残っていないことがあるが、この城もそんな感じだった。

それでも一国一城の例外とされて明治まで生き延び、さらに史料が残っていたおかげで建物も再建されるなど、幸運な城でもあったろう。

 

★白石城

宮城県白石市益岡町

西の方の益岡公園駐車場を利用。市役所前の城下広場駐車場も利用可。

平山城

 

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(2024年9月6日 記)