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江上館は胎内の街のすぐ北、JR羽越本線中条駅から1kmほどのところにある。

このあたりは摂関家領の奥山荘が広がっていて、源平合戦の後に地頭として和田義茂が入り、その後和田合戦、宝治合戦と生き抜いて土着した。江上館は15世紀中に惣領であった中条氏が築いたといわれる。


前日山城攻めを休みにしたことで膝は多少回復したので、まずは平らなところでの足慣らしのつもりで訪問😅

じつは奥山荘城館遺跡の存在を前日にマップ見てて知った…😅

 

町中の細い道を館の西の方目指して進むと、奥山荘歴史館の駐車場がある。
ここから、正面に土塁のアタマが見える😮


園地は生垣で区切られているだけで、簡単に入ることが出来る。
入ると、浅く水をひいた堀の向こうにそびえ立つ土塁…😮


傍らには、説明板が二つ。


左側には、この江上館の説明が。


右側には、この辺り一帯に広がっていた奥山荘とその中に散在していた城館群の説明があった。

隣の坊城館などのように遺構が失われた城館も多いようだが、まとめて国指定史跡で、その中には鳥坂城や金山城など山城も含まれているらしい。


説明板のすぐに木橋、それを渡ると眼の前に南門への木橋。


木橋から南門へは、渡ってから土塁の前で一旦右に折れ、門の前でまた左に曲がって門をくぐる、食い違い虎口のような動線になっている。

織豊系城郭より1世紀ほども早い時期での採用とのこと。


横の土塁に咲いていた黄色い花はブタナ。

他にイワニガナも…


復元された南門。

板塀に屋根がけ、門扉だけの簡素なやつ。


南門をくぐると主郭。

東西、南北とも巾60メートルほどとのこと。

眼の前には主殿の位置を示す赤い舗装。


主郭には、いくつかの建物が復元されている。

南東の隅に、宿直所。

中は座敷になっていた。


主殿の北には簡素な板塀。

これより北側の空間は日常空間とのことで、その東の隅に板蔵。

扉は東側に付けられていた…


ここから眺める北門。

これまた簡素な高麗門の形式での復元。


北門までの土塁も、雰囲気あるね✨


井戸は枠だけの復元。

中は少し凹んでいるぐらいまで埋まっている。

確かに往時のように深く掘っていると落ちたりして危ないもんね…


郭内を見て回ったので北門から出ると、正面に蔀みたいな板塀。

ここも食い違いになっていて右に折れるが、この先の造形が、なかなか面白い…

 

立体迷路??😮


一見どうなっているかわからないが、説明板の見取り図を見返す。

まず堀を木橋で渡って土塁の切れ目から北郭に入り、そこも向こう側の出口が食い違いになっていて、さらに外をもう一つの堀を土橋で渡ってゆくようだ。

 

北門の前を東西に横切る堀には、水は無いようだ。

西側は一直線。


これに対し、東側は折れを伴っていてカッコいい✨

ただ、向こう側は民家の庭先に続いているようす…💦


木橋を渡って北郭へ。


基本的には土塁に囲まれて外から様子を見ることができず、ガッチリ防衛のための曲輪だったような雰囲気。

今は西側に鷹麻神社が立ち、そちら側の土塁が切れている。


北側の虎口は単なる土塁の切れ目だけで、山城とかで見慣れた姿をしている。

🌿🌿も伸び放題になっているが、埋もれはしないよう手入れはされているようす。


その外へ出る土橋は、もはや残骸のようになっていた…

外はそのまま民家の敷地のようで、ここから外へは出られない。


堀も深さ数十センチといったところだが、跡はくっきり残っている✨

横の土塁とあわせて、これだけ残っていれば本望でっす🤗


ここから見返す北門。

土の壁のはるか彼方に…という雰囲気


北郭の方を別とすれば遺構はきれいで、手入れも行き届いている。

奥山荘城館遺跡は遺構が失われたものも多いとのことで、市街地すぐにありながらよくぞ残った、というところ✨

 

★江上館

新潟県胎内市本郷町

隣の奥山荘歴史館の駐車場が利用できる。

平城

 

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( 年 月 日 記)