新発田城は町の中心に鎮座している。北側半分が自衛隊の新発田駐屯地、南側が城址公園となっている。
城が築かれた時期は不明とのことだが中世を通じて新発田氏の居城であったとのこと。新発田氏が滅んだ後、慶長二年(1597年)に溝口秀勝が6万石で入封し城を改築し始め、今残る近世城郭の形になった。
明治4年(1871年)に陸軍の営所が暫定的に置かれ、紆余曲折を経て新発田駐屯地となっている。
城址公園の駐車場は狭いので、南側に隣接するアイネスしばた利用が良いだろう。
駐車場から歩いてゆくと一番最初にお目にかかるだろう建物が、移築されたという二の丸隅櫓。
たしかに、よく見ると石垣の縁より内側に櫓が建っているし、下の櫓台も上の方が継ぎ足されたようにも見える。
ここには、もともと本丸鉄砲櫓が立っていたとのこと。
ここから左右に水堀が伸びているが、まずは左の三階櫓の方へ。
水は完全に緑色だが、折れを伴った石垣が映える✨
そして、一般人が行ける西の隅に建っている三階櫓…
実質的な天守で、幕府に天守を建てたと難癖をつけられぬよう三階櫓という呼び方にしたという。
今立っているのは2004年に復元されたもの。
屋上の三方に出ている入母屋破風のそれぞれにシャチホコが乗る、珍しいやつ😮
ここから先は駐屯地で、一般人は入れない。
引き返して、土橋門から本丸表門の方に向かうか。
土橋門の左側で内堀と向き合うこの土塁も、なかなか絵になる。
土橋門は、今は車道が通り抜けている。
その道端に立派な説明板が立っている。
なんと、ここでは土橋門や本丸御殿などを復元する計画があるのだという😮
城の御殿などは明治に破却されるまで残っていたところも多いだろうから、復元されて地域の新しいシンボルになるのが楽しみ✨
説明板の奥には、そうとうに奥行きがあったらしい土居。
そして土橋門の傍らには道路標識😂
土橋門が復元されたあかつきには、ここの様子も変わるのだろう。
何しろ門の右側の土塁もかなり立派😮
やっぱりここに立っているのは城門が似合うだろう。
土橋門を通り抜けると、堀の向こうに本丸表門が見えてくる。
立派な櫓門✨
門をくぐる前に、せっかくなので周りのものを見て回るか。
まずは、土塁の横に堀部安兵衛の銅造。
辰巳櫓を管理していたが失火の責を負って浪人となった中山弥次右衛門の子が、堀部安兵衛。
表門すぐ先に、その辰巳櫓。
こちらは三階櫓とともに2004年の復元。
向こう側へ回って、もう一枚。
この櫓の下を走っていた堀は埋められ、周囲も様子が変わって、往時の様子を窺い知る事はできない。
では、表門をくぐって本丸へ。
この表門も、移築された二の丸隅櫓とともに現存、国の重要文化財。
門を入ると、正面左に新発田藩初代藩主、溝口秀勝の銅像が立つ。
本丸も半分ほどは自衛隊の駐屯地で、一般人が入れるところは東西に細長くなっている。
外側は石垣だった南側も、内側は土の壁だったようす。
なぜか石垣に囲まれた牢獄のようじゃなくて良い、とホッとしたワタシがいた😅
移築された二の丸隅櫓にも入ることが出来る。
ただ、膝痛の今はちょっとムリ…😅
八重桜もそろそろ終わりかな…
ここから降りる途中から眺める本丸も、桜の老木が一列に並ぶ姿が素晴らしい✨
さて、天下普請ではないので刻印は無いだろうが、
せっかくヒコーキ用に超望遠レンズを買ったので、コイツで石垣のドアップでも狙ってみっか😅
まず目についたのが、二の丸隅櫓が移設された近くの内堀に面したやつ…
すごい孕みがこの通り😮
この孕み、2014年9月には市議会で孕み出し防止を求める決議が採択されたとの由。現在はそれを受けて有害なものか、ここを含む数ヶ所で追跡調査中だとか。
少し西に行ったこの辺は、スダレ加工がスゴい😮
三階櫓にもう少し近づくと、布積み石垣に大きなスキマが…😮
三階櫓の向こうは駐屯地なので、大筒持って近づくと職質されそう😅
よって、方向転換ッ!
こんどは二の丸隅櫓から表門の方へ💨
コイツはリザードの化石??
現存している遺構がそれなりにまとまっている近世城郭をしっかり見て回ったのは、何年ぶりだろう…😅
多くの中世城郭で目にしてきた堀や土塁、土橋などのパーツや、防御のための縄張りなどが進化してきた様子を辿ることができて楽しいものだ🙌
復元事業が首尾よく進むことを願いたいところだ。★新発田城
新潟県新発田市大手町
駐車場は複数あるが、アイネスしばたが最も広い。
平城
(2024年5月14日 記)