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小田原城の総構の中で、三の丸新堀土塁や蓮上院土塁は存在は知っていたものの「経路が分かりづらい」という理由で長いこと放ったらかしにしていた😅

勤労感謝の日のこの日は朝から本降りの雨だったが、こういう所は1日休みでないとなかなか訪問する機会がないし、町中を散歩するならこういう日と思って電車で行ってみることにした。

三の丸新堀土塁や小峯御鐘ノ台大堀切は総構ではないが、中世小田原城の遺構なことは間違いないので、ここでは一緒くた扱い😎

 

小田原駅の北口から外に出る。
見た通りの肌寒い中、北条早雲の銅像が雨に打たれている。

 
まずは小峯御鐘ノ台大堀切と同じく相洋高校の方へ向かう。
線路沿いから眺める復興天守。

 
右手に八幡山古郭。
中世と近世の城が右と左から目に飛び込んでくるところ…
 
小田原高校の下にはヤブに埋もれた空堀。
神奈川県の天然記念物に指定された「県立小田原高等学校の樹叢」に覆われていて、迂闊に手入れが出来ないだろうところ。

 
相洋高校の横を通って小峯御鐘ノ台大堀切の南端まで行ったら、反対の南側に曲がってゆく。
 
大堀切の南に続く道は、すぐにY字の分岐になる。
その真ん中に、いよいよ三の丸新堀の説明板が現れる。
ここが園地の北側入口。
 
少し進むと、右上に登ってゆく道が分岐している。
開園時間が午後3時までらしく、ワンデイハイクに取り込んで昼頃に行くのが丁度良い。
この分岐はどちらに入っても遺構に行けるが、右に登ると北端の方から回れる。
 
登ると、だだっ広い芝生の園地が現れる。
右の奥の方で盛り上がっているのが大本命の土塁。

 
枯山水?
ここはもともと小田原城の外郭だったが、さらに外に総構が増設されたことで内側の曲輪になったとのことで、こんな場所があったのかも…
 
土塁の上からは箱根外輪山の方まで見渡せるようだが、雨にけぶっている。
 
ここから南の方に向かって歩いてゆく。
一段下がったところに、大きな矩形の凹が見える。
左側に平場のようなところが続いていそうだったが、そちらは整備の範囲外…

 
いま立っている、高くなったところが土塁か…
外側にパラペットのように高い土塁を盛ったつくりのようす。
 
矩形の凹。
 
外側のパラペットのような土塁。
高さ3メートルはあって、一番ガッチリ積まれているところ。
 
歩いてきた園地を振り返る。
ここから見ると厳つい表情…
 

遺構が見えるのはここまでで、あとは南に向かって芝生の下りになる。

 
最後はフェンスの隙間から住宅地の中へ出る。
何とも俄作りのような雰囲気…💦
 

ここは短期大学の奥、城山第二公園というらしい。

 

さて、ここからはもう一つの目標、蓮上院土塁へGo💨

ザーザー降る☔の中、小田原の町の反対の方まで3kmほど、トボトボ歩いてゆく。

けっこう寒いわい…🥶

 

国道1号を東へと歩き続け、浜町の交差点から北側の住宅地へ入ってゆくと、間もなく左手に現れる。

 
フェンスに仕切られてはいるが、高さ3メートルぐらいあるビッグな土塁が道に沿って続いている。
傍らに説明板。
 
いま歩いている道が、往時は水堀だったらしい。
このすぐ外に徳川家康が在陣してたとあっては、緊張感の張り詰めた怖ろしい空気だったろう…
 
少し進むと、土塁も堀だった道も直線になる。
 
フェンスの隙間から土塁を覗き込む。
 
真ん中より少し進んだところに、こんな説明板が立っていた。
第二次大戦中に米軍機が投下した爆弾を受けて凹んだところらしい。
 
これが、被弾した跡。
この土塁は、350年の時を経て二度目の戦争を経験したのね…🥺
 
土塁は150メートルほど続いている。
北の端から振り返ったところ。
 

市街化でだいぶ失われた南側の遺構に、これでようやく出会うことが出来た。

城下張出から山の神、小峯御鐘ノ台から西の方を回り、ミニ万里の長城の如く野や丘を横断して張り巡らされた総構も、けっきょく豊臣秀吉に対抗する切り札たり得なかった時代の流れの残酷なことよ…

 

★三の丸新堀土塁

神奈川県小田原市城山

★蓮上院土塁

神奈川県小田原市浜町

どちらも近くのコインパーキング利用となる。

 

 

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(2024年3月30日 記)