二ツ山南砦は、二ツ山北砦と並ぶように東海道線と並走する道路を挟んで南側にある。
正泉寺の裏山に広がっていて、やはり徳川家康が田中城攻めの陣城として築いたとのことだが、否定的な考え方もあって城郭か否かの結論は出ていないらしい。
北砦に続いて徒歩で攻略。
岩城神社から表通りに戻り、数十メートル西に南砦方面に入ってゆく路地がある。
正面にこんもりと森が見える。これが砦の跡とされる。
城山から東の方に細い尾根が伸び、そこを穿った切通しがあるというので行ってみたが…
完全に石で固められていた。
右隣には青島家墓所。
青島家はこのあたりの有力者で、戦国時代には青島長忠が武田家に仕えて田中城にいた事もあるのだという。子の長宗が徳川家に鞍替えして明治まで家を保ったという。
土地改良に伴ってここに移されたのだという。
切通しの右手に、熊野権現の参道が登っていた。
ここを登ると中心部まで一気に登れそう。
最初は階段だが、すぐに岩盤むき出しの道に変わる。
露出した岩盤を、何となく登りやすいように段に加工したような感じ。
100メートルも登ると、熊野権現が見えてくる。
登路は何となく竪堀状、外側を土塁で守っているようにも見えるが、もはや城郭遺構なのか神社のものなのか、分からん…
熊野権現のある北側は、かなりの高さ、かなりの急傾斜で落ちていて、何となく城の雰囲気はある。
熊野権現は、城山の最高所ではなく北側の小ピーク上に立っていた。
北砦の岩城神社と比べると、だいぶ素朴…
北側斜面は一気に麓まで落ちていたが、南側は幅広の土橋状の奥に盛り上がりが見える。
権現のあるところから比高3メートルぐらいか。
盛り上がりのてっぺんは、六畳一間ちょっとの平場らしくなっていた。
物見台でもあったか、南の方の展望がある。
ここから東西に尾根が伸びているが、西側は堀切など何もなく麓まで降りているらしかった。
東の方には踏跡らしいものが伸びているので入ってゆくと、20メートルほどで一段下がる。
降りた先は幅3メートルばかりの尾根。
南側には、なんとなく帯曲輪のようにも見える伐採された空間があったが、外傾していて曲輪かどうかは怪しいような感じ。
それでも少し進むとこの空間に入ってゆく道があったので行ってみると、六畳一間ぐらいの平坦地だった。
外側は鋭い斜面になって落ちていたので、切岸加工で防御力を高めるとともに曲輪を造成していたかも…
この尾根は何となく下まで降りられそうだが、ラスト数メートルで踏跡が消える。
尾根の末端あたりから振り返ったところ。
この尾根に堀切などは無い。
左には正泉寺、右にはすぐに道路が見えているが、どちらに降りても不審者扱いされそうなので、戻って熊野権現の参道から戻った方が良い。
ネット上で見たところを総合した限りでは、二ツ山北砦については家康の築いた陣城跡でほぼ間違いないが南砦は怪しい、といったところらしい。
部分的に城郭っぽいところもあるように見えたが、さて、本当のところは…?
★二ツ山南砦
静岡県藤枝市青葉町
正泉寺の駐車場が利用可とのこと。
(2024年4月3日 記)