東郭まわりを一通り見て回ったら、いよいよ主郭の方へ登り始めるか💨
登城道が尾根に登りついたあたりから見ても、植林の中に相当な存在感を放っている😮
ここから少し登れば、城内中央の曲輪に登りつく。
その入口には、虎口らしい造作が全く無かった…😮
斜面を登った道がただ曲輪に詰めあげているだけの、ごく簡素なやつ…
曲輪は野球の内野ぐらいの広さか。
勾玉のような形をしている。
中央に立っている新しめの碑は、金属製だった…
この曲輪からは、南と西に尾根が伸びている。
西にはもう一つの大きな曲輪があるので、先に袋小路の南尾根へ降りてみる💨
早速、1つ目の段郭。
その下は大きく落ち込んでいて、踏跡が斜面に張り付いている。
杉の立木に掴まりながら慎重に降りていると、下に段郭が見えてくる。
この段郭と上に続く切岸との間から、東の方に竪堀が降りている。
そんなに大きなものではないが、しっかりと刻み込まれている😮
もとは西まで伸びて尾根を断ち切っていたらしいが、西半分は埋まってるみたい…
この下にも段郭が続くらしいが、さすがにめぼしい遺構は無さそうなので、上から見るだけで引き返そう💨
この曲輪からさらに西に、また尾根が伸びている。
虎口らしい造作はやはり全く無く、尾根のまんま高度を下げている😮
この堀切が、城の中心部に3つ東西に並ぶ真ん中の曲輪の、西の境界になるのだろう。
各々の曲輪、わりと独立しているのかな…?
西には、これまたきれいに直線状の尾根が伸びる。
この先は、西の曲輪の範疇だなっ
(飛騨国府 広瀬城 終章に続く)
(2024年2月7日 記)