船子城は霞ヶ浦のちょうど中央部分いちばん広いところの東岸、平野に北の方から突き出した台地の先端にある。麓を走る国道355号が西の方にバイパスを分けるあたりになる。
下総国関宿にいた下河辺氏の城だったらしい。
この日は壮絶なヤブとの格闘を覚悟していた小屋下城を首尾よく攻略してノリノリの気分で攻め込んだが…
横には神社の説明板。
城と大いに関係があるらしい。
しかし、立てたのは旧麻生町か…
倒壊したのを片付けたらしい鳥居の残骸が置いてあったりする道を入ってゆくと、真新しい木の鳥居が立っている。
その奥に、小ぢんまりとした社殿が立っていた。
城への登り口は、社殿の裏から登ってゆく急なコンクリの階段。
20段ある。
登りきった上が、同じぐらいの斜度を直登してゆく竪堀状…
これを登ってゆくのか…?💦
ここは右側に道が伸びているので、こちらに入ってゆく。
つづら折れに登って、竪堀を巻くことが出来る。
左に登ってゆく踏跡からも登れるが、斜度はかなり急。
ここから見下ろす竪堀状の斜度がスゴイわ…😱
登りきって右に曲がると、急傾斜の道の上にコンクリの階段…
その上には、宝篋印塔の立っている平場があった。
奥のほうが少し高くなっていて、これは背後の曲輪との間を仕切る土塁のようにも見える。
で、その奥には最初の大きな曲輪が控えているのだが、見ての通りの壮絶なササヤブだった💦
前、見えんぞ🥶
右端から踏跡のようなものが入っていたが結局ヤブの中で見えなくなり、構わず突っ込んでいったら中央部のヤブのないところに出た。その北側はヤブがあまりにも濃くて消耗しそうだったので、反対側の曲輪に降りていった。
ここは、わりとヤブが少ない😮
そして、そそり立つ主郭の切岸がみごと✨
ここは東西にわりと広かったが、奥の方はヤブで見通せなかった…
城の中心部は北の方に続いているらしいので、北に向かって進んだ。
次第に細くなって、帯曲輪のような感じになってくるが、外側の斜面は緩やか…
少し進むと、正面奥に土壁が見えてくる。
そして、先ほど降りてきた曲輪との間が堀切状になる。
しかし…幅が広い上にヤブだらけで、何があるのか良う分からんなぁ~💦
ここは幅が広いので、底から堀の曲線を見渡すのはムリだった…
ヤブの上まで斜面を登って、俯瞰するのが良いだろう。
それでも広すぎて分かりづらいなぁ~💦
反対側は、高さがなく斜度も緩いが相当な荒れっぷりなので、倒木などを避けつつ登れるところを慎重に探って登る。
そして下草が繁茂する植林を突破すると、何やら工事中の場所に出た。
ここも曲輪。
東の方に虎口っぽいところが…
かつては麓から直接登降出来たのか?
工事中の場所はブルなどで盛大に崩されたように見えてしまうが、曲輪の間に立っていた切岸は、シッカリ残されていた。
そのほかの場所も、城の遺構は崩さないようにしつつ工事をしているらしい。
発掘調査だったりすると、素人の私がそのへんを荒らしてはいけないので、ブルの跡があるところを通って曲輪を北に横断した。
曲輪の下、西の方から竪堀状の道が入ってきている。
人の家の庭先に出たりするとまずいので、踏み込まずに通過💨
曲輪の北には、北側との間をシッカリ断ち切る堀切が横たわっていた。
奥に行ってみると帯曲輪状があった。
堀切の西端あたりから、北に向かって入ってゆく道がある。
これが城の北側に通じているらしい。
紙垂のついた縄が設えられて、ここも神聖な場所らしい。
進んでゆくと、土塁に囲まれた空間に行き着いた。
真ん中に小さな祠が立っている。
さっきのしめ縄は、ここを守っていたのね😮
この土塁の外側(とくに右側)には、これまたきれいに削平された空間が広がっていた。
ここも曲輪だったらしい。
この曲輪、北端がわりと直線的に切れて、下はしっかり切岸加工されていたようす。
そして…
なんか、堀切デカいんですけど…💦
正面は急斜面なだけでなく立ち木も無くてとても降りられないので、右の方から回り込んで斜度の緩いところを斜めに降りていった。
なんか、ただならぬデカさ…😮
綺麗〜っ✨
このV字の美しさは、なかなかお目にかかれないものだろう。
この向こう側に曲輪がもう一面あるらしいが、北の方から襲い来る外敵から城を守るにふさわしい規模、そして鋭さだった。
この堀切は東西両側に道が降りているが、東側はおそらく人の家の庭に降りてしまうだろう。
西へ降りてゆくと、城外側に小さな墓地があり、コンクリ道が登ってきていた。
この道を通って麓に降りられる。
駐車場所は無いのでアプローチには使い難い。
ともかくも、人里に近く生活空間と交錯しそうだし、主郭あたりは工事中だし、なかなかに訪問しづらい城だった。
★船子城
茨城県行方市船子
登城口の浅間神社の駐車場があるが、利用可能だろうか…
平山城
(2024年3月18日 記)