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貝那木山城は国道365号を針から宇陀に向けて南下する途中3kmほどの東側、三角点の置かれている標高597メートルの山上に構えている。

戦国時代も終わりの方、天文年間に多田源氏の流れをくむ多田延実が築城したとのこと。多田氏の本城はかなり東の方にある佐比山城で、貝那木山城は都祁一帯の支配や北の方に対する防衛などの拠点だったらしい。


年が明けた2023年元旦、大和〜宇陀方面の城攻めのスタートにもちょうど良い場所にあったので、城初めに登る事にした。


アプローチには、国道365号を城の直下から取り付いて城内に直接乗り入れる道があるようだが、かなりの急坂で入口も分かりにくいとのことなので、少し北側から集落の中を通って入ることにした。

ただ、こちらから登ると車を停める場所が無い…

 

城への登り口は、廃屋のような小屋が立つ横にあった。


杖が置かれているのにはビックリした…😮

訪れる人がそれなりにあるらしい…


登ってゆくと、トラクター道のような雰囲気で植林の中を登っている。

コンクリ舗装はされたものの崩れたり草が生えたりしているが、街灯がある😮


上の方に城らしい雰囲気を感じながら10分ぐらい登ると、お堂のある広い場所に登りついた。

車を停めておけるスペースもあるが、ここまで歩いてきた道はオフロード車でないと辛いだろう…

反対側から登ってくる林道はあるが、急勾配な上に国道からの入口が分かりづらい。


このお堂は『姉妹堂』というらしく、正月飾りもされていた😮


ここも城の曲輪だったか…?

すぐ南東側が切り通し状になっている。
底を通る道が舗装されているが、曲輪間の堀切だろう。

主郭方面は左側だが、反対の右側にも曲輪がある。

てっぺんが削平されたらしい盛り上がりがあるが…


てっぺんは、この有様だった🥶
2023年も、ヤブ城からのスタートかょ…😵‍💫
まぁこの奥には曲輪が広がっているだけらしいので、凸撃は遠慮させてもらった😅

この曲輪の虎口は南の方にあって、脇の切岸には石垣もあるらしい。
その場所へ行ってみると、実際そんな感じのものも見えた。
が、🌿🌿に埋没していて何だかよく分からない絵面だったので、写真は撮らなかった…
さらに、この曲輪からずっと下の林道沿いには畝状竪堀もあるらしかったが、これまたササヤブの中らしく、何も見えなかった😮‍💨

何の成果もなくしばらくうろついた後、主郭へと登ることにした。


ここにも、杖が…😮

道は、かなりの急傾斜で登っている。

この場所、後で再登場するが、この時のワタシには知る由もなかった…

登ってゆくと、虎口状が見えてくる。
しかし、奥にまたも小屋のようなものが見える😮

山頂にある主郭から北西に伸びる尾根を削平したらしい曲輪だった。


虎口横の小屋は、集会場のようだった😮
ここにも正月の供え物…

虎口の反対側には、城主多田氏供養塔と隣に小さな祠。

曲輪の突端まで行くと、石灯籠などの奥に大きな石碑が立っている。

大善院日正霊位とある。

小ぢんまりとした神社の境内みたいな曲輪だった。
山全体で城主だった多田氏を供養しているような、そんな感じがする。

集会所みたいなの背後に、主郭の盛り上がりがスゴい存在感を放っている。

主郭虎口は、これまたホントに往時の動線だったのかと思うぐらい、ささやかなものだった😮

振り返って、主郭の切岸

主郭は野球の内野より少し広いぐらい。

樹林はあるが、もしそれがなければ南にも北にも展望が利くだろう。

下を通る香酔峠道の監視だけでなく、周辺一帯を支配下に置くのに都合のよい立地だ。


主郭にも、いろいろなものがある。

まずは、登りついたところにお堂。


ここも正月飾りがされていた。

山城の神社やお堂は、放置されて崩壊しかけているところも何ヶ所か見たが、ここのはしっかり手が入っているようだ。

 

中央付近には、城址碑。


そして、三角点まである😮

標高597.3メートル、「白石」という三等三角点だそうだ。


これで主郭まで制覇した〜っ🙌

だがこの城は、これで終わりではなかった…

 

(大和 貝那木山城 その2に続く)

 

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(2023年2月3日 記)