都道府県別索引へ

 

大明神山の砦は、別名を駒形城とも言う。

烏川に長井川が合流する権田地区の右岸側、比高約90メートルの尾根末端に構える。

戦国末期に真田昌幸が北条氏の侵攻に備えて築城したとされる。


麓には浅間神社があり、社殿の裏側から砦まで登る道もあるとの事で、晩秋のこの日最初の目標にした。

 

浅間神社の駐車場は無いが、目の前の道路の路肩が大きく広がっていて、短時間ならば停めておけるらしい。

その近くから西の方に登ってゆく道があるが、これは関係ないので入らないこと。

 

入口は神社の鳥居が目印だが、奥まっていて道路から見えないので注意。

 

鳥居を越えるとすぐに社殿。

綺麗に手入れされていて、今も大切に守られているようだ。

 
だが、砦に登るために裏へ回ろうとすると、横の石塀が倒れかけていた😮
あまり気にかけなかったが、もしやこれが予兆だったか??
 
登山口は、すぐ裏だった。
 
ちゃんと案内板も立っている。
 

だが、少し登って左に折れると…

 
道、崩れかけてない❓😨

 
鎖の柵も、木の階段も、足元からゴッソリ持っていかれようとしていた😨
これは前途多難…
 
折れ曲がり点から直進方向に分岐する道も出ていたが、これはすぐ上の巨岩の下で行き止まりだった。
 
この巨岩、御神体だったのかな?
今は鎖やネットでがんじがらめみたいだけど…💦
 
ここから砦まではほんの15分ばかりの登りだが、やはり多難だった…😨
同じように崩れかかった場所とか、こんな倒木に塞がれてる場所とか…
 
注意すればそんなに危険でもないが、打ち捨てられた感が侘しい…😢
 
間もなく、右手上の方に砦本体らしいピークが見えてくる。
上に曲輪らしい平場があるようだが、柵で囲われている😮
 
登りついた場所は、砦の下の馬出のような平場だった。
奥に向かって高くなっていて、森の中の堀切に向かって伸びている。
右側に主郭部への登り口が付けられている。
 
まずは奥の堀切を見に行くか💨
 
砦と南西側に伸びる尾根との間を仕切っているだけあって、なかなか立派なやつだった✨

西の方には、斜面を降りてゆく立派な竪堀状が続いている。
城外側のこちら、ちゃんと土塁が積まれているわ😮

土塁から振り返る堀切が、また絶景✨

西側から竪堀を登って堀切を通り抜けると主郭部下の曲輪にたどり着くということは、この一連の土木工事跡は堀切であるだけでなく動線だったのかな…?🤔

この大きな堀切の外には、さらに2本の堀切が並んでいる。
二重堀切とも言えるけど、ちょっと浅め…

内側の条

外側の条

ここから外に土木工事の跡は無く、ぐっと高いピークが聳えているのが見える。
砦はここまでらしい。

では、さらに砦の心臓部へ…

木の柵が設えられた道を登ってゆくが、ここも一部壊れている…

登りついたところは、主郭と南に隣接する小さな曲輪の間に穿たれた堀切の前だった。

その堀切…

これまた、なかなか立派✨

南側の曲輪に登ってみる。
だいぶ狭くて、バドミントンコートぐらいの広さだけど、ちゃんと削平されている。
下を通る堀切から馬出状までのあたりを、上から睨みを利かせる位置にある。
やはり重要な通路だったのだろうか…

さて主郭へ登るか。
虎口には、土塁の切れ目のようなものは何もない。
少し凹んでいるだけ…

主郭は野球の内野ぐらいの広さ。
駐屯できて100人程度か。
軍事拠点としては物見台・狼煙台+α程度だろう。

虎口の脇には立派な登山道開設記念碑が…😮
あの荒れた道も、当初はそれなりの思いを込めて設置されたらしい…

横には説明板が2枚並んでいた。
旧倉渕村の指定、今は高崎市の史跡だろう。

もう一つは狼煙台の概要が説明されていた。

説明板の背後が、立派な土塁だった😮

東側にも、ささやかなやつが残っている。
痕跡程度だな…


奥には櫓台っぽい高まりもある。
これも痕跡程度…

見どころは、こんなところか…

戦国時代末期の城郭にしては小規模でシンプルな縄張りだが土木工事はしっかり施されている、という砦だった。
立地も、比高はそこそこながら急峻な尾根先端、しかも烏川沿い一帯を一望のもとに置ける上手い場所を占めている。
こういう立地の妙のようなものを楽しめる砦だろう。

往路で見逃して下山中に気づいたが、土の城の印象だったこの砦、じつは主郭直下まで岩盤の山だったのね😮

★大明神山砦

群馬県高崎市倉渕町川浦

浅間神社前の県道に駐車スペースのようなものがある。

山城(比高約90メートル)

 

都道府県別索引へ

 

(2022年12月2日 記)