日近城は、新東名高速の岡崎東ICから国道473号を北に入って数キロのところに構える。
作手の国人領主であった奥平氏でも奥平貞昌の次男貞直に始まる日近奥田氏の居城であった。最初今川氏についていたが弘治二年(1556年)に織田方に寝返ったことから今川氏に攻撃されて日近合戦となり、このときは撃退したものの、半年後に本家の奥平貞勝に放逐されて以降は本家の城となり、天正十八年(1590年)の関東移封により廃城となったとの事。
この日は例のごとく名豊道路から国道1号を通って来たが、それにしても日近まで入っていく国道473号、1.5車線の道にムリヤリ黄色い中央線引いた感タップリで、狭いぜ💦
『日近の里駐車場に』に車を停める。
城へは、駐車場の西から山に登ってゆく道に入る。
人のお家に入っちゃうんじゃないよね😨と、一瞬心配になりそうな入口…
少し登ると、根古屋のような平場に出る。
後で見たら、武家屋敷跡だそうな。
道がどこに行ったか分からなくなりそうだが、奥の細い沢のようなところに階段が設えられているのが見える。
最後に出てくるが、左側の斜面に絡んでゆく道からも登れる。
しばらくはかなり急な階段道、そして植林の中を登ってゆく。
そして、ほどなく上の方にトイレが見えてくる。
って、ココ何となく竪堀みたいじゃん?
って思ったら、登りきったところに堀切があった😮
城の東端の堀切だな🙌
トイレは和式だが小ぎれいだった。
そして、このあたりの森は2002年11月24日に植樹されたようだ。
堀切の前を左に入ると城内。
だが土塁の上を越えてゆくような道で、本来の動線ではないな😮
その先には、帯曲輪状の馬走り。
本曲輪の下まで進むと幅広くなっている。
そして、本曲輪と東側の尾根との間にキレイな堀切があった✨
北側から見上げると、後光が差して神々しい✨
本曲輪の裏には、S字にカーブする動線が通っていた😮
この動線は、先ほどのトイレ横の堀切から入ってきているようだ😮
とすると、それは堀切ではなくて虎口で、これが大手道なのかな?🤔
堀切の北側には、これまた魅惑的な空間が広がっていた✨
馬出っぽい感じやね😮
この動線、消えかけたりしながら本曲輪の北側を回り込んで、西の方まで続いている。
そして堀切っぽい雰囲気…
やっぱり、ちっこい堀切✨
しかし、その先で動線は竪堀状に落ちていた😮
先端には、ほんの小さな物見台みたいなのがあるだけで、その先に道らしいものは無かった😮
動線が落ちてゆくところを上に登ってみたが、「腰曲輪」と書かれた看板が打ち捨てられていただけで、曲輪や動線らしいものは無かった😮
腰曲輪と言うにはちっこいし…
これで終わりらしいので、馬走りまで引き返すか💨
本曲輪の裏を戻り、堀切を通り抜けて馬走りを西に進んだ。
馬走りの先で、道は突き当たっていた。
左へ下ると郭2側、右へ登ると本曲輪になる。
まずは本曲輪へ💨
本曲輪への道はすぐに坂虎口状になる。
意外と傾斜は緩い…
右手に段郭が見える。
本曲輪は二段になっているようだ。
そして主郭は杉の植林の中にあった。
テニスコートぐらいの広さか…
北側がしっかり土塁に守られている。
説明板2枚と、石塔のある祠があった。
続いて、下に連続する二の曲輪、三の曲輪を見に行くか💨
(奥三河 日近城 その2に続く)
(2022年3月8日 記)