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天ケ谷の城平(あまがやのしろひら)のあるあたりは、東の方に八幡平城や舟ヶ谷の城山、南に釜原城と多くの城が集まっている。
古文書に出てくるところでは高橋左近将監の城と言うことで「高橋の城」とも呼ばれているらしい。現在見られる遺構は武田流築城術によるもので、駿河や遠江に侵攻した武田氏が改修したものと考えられるとの事。
この変わった名前は、「城平」と呼ばれる場所に城があったため、という。
駐車場は県道すぐ横にあるが、この時は隣の釜原城から徒歩で続けて攻略💨
最初はジメジメして薄暗い、気分の悪い道を入ってゆくが、すぐに小さな谷の中を登るようになる。
実はこれが、大堀切から降りてくる竪堀状だった😮

登り詰めたところが大堀切✨
左に登ると主要部、右は見晴台に至るとの事。

主要部に向けて、左側の斜面に付けられた道を登ってゆく。
主郭の前まで行くと…
美すいぃ✨

手前に横堀のような堀切が走って、その向こうに主郭の虎口が見えている✨
土の遺構が、旺盛な生命力を見せる木々を養いながら長い年月をかけて自然に還ってゆく様子が、絵巻物のように広がっている😮
堀切はこんな感じ✨

すぐ上が本郭虎口。
ココも、土塁がしっかり残っているからか、ハッキリしている✨
本郭は南北に長い。
囲む土塁もシッカリしている。
膝くらいの高さだけど…💦

縄張図の描かれた説明板が経っていた。
平成の大合併で御前崎市になったときに貼られたシールが剥がれてるぞぇ〜😢

今登ってきた道は、城の北側から谷を登って大堀切を通るルートで、描かれ方はやけに漫画チックだが堀切などでガッチリ守られている様子は窺える。
南側は、谷の向こうに二ノ郭、さらに東西に走る尾根に繋がっていて、この尾根をいくつかの堀切で固めている。
さらに、本郭の西の方に三日月のような横堀が描かれている。帰りに大堀切の脇から斜面をトラバースしてみたが、辿り着けなかった…😢実際には、本郭から西に伸びている尾根付近を下る。
では、その南に行ってみるか…
本郭を出ると南の谷になる。
底は土橋で渡っている。

って、この土橋から向こうに見える二ノ郭までの間…

なんか、土橋〜虎口までの一体感がほんわかと伝わってきて、イイね✨
個々のパーツだけじゃなく、こういう広い範囲の繋がりが見えるのも、城の魅力だろう…😊
二ノ郭に行く前に、南東の堀切へ。
けっこう立派やん✨
本郭の説明板では、ここから麓に降りられる事になっていたが、今は道が荒れ放題になっているのか、踏跡はなかった😢
城道に戻って、二ノ郭へ。
こちらの虎口もハッキリしている✨

二ノ郭は、東側が物凄いササというか竹というかのヤブになっていた😮
この奥には堀切が1本あるが、今回はパス😅

南の端っこには虎口があった。
虎口を出て振り返ったところ。
動線は折れ曲がっていて、曲輪の中は見通せないようになっていた😮

虎口を出ると突き当りになっていた。
東に向かうと、尾根の左側に堀切があった。

って、🌿🌿の塊しか見えない…😂
仕方なく、🌿を突破して堀底に降りたら、何とか堀切に見えた😂

これ以上は進めないので、戻って西側へ行ってみる。
少し進んだところに「堀切」という立て札が立っているけど…?😮

もぅ〜カワイイなぁ🥰

ひとまず見どころはこんなモノかということで、撤収した。
武田流築城術というと、近くの諏訪原城みたいな長大な空堀や丸馬出が連想される?が、実際はこんなふうに主郭部から派生する尾根の細いところを堀切できちんと切り、尾根を削平した曲輪の縁を土塁で固めて、という効率の良いものだったんだろう。
諏訪原城の丸馬出も実は徳川氏は築いたという発掘調査結果もあるようで、まだまだ知見は変わってゆくのかな…?🤔
★天ケ谷の城平(あまがやのしろひら)
静岡県御前崎市新野
駐車場は県道からの入口近く、こども発達センター横
山城
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(2021年12月18日 記)