下から登ってきた虎口状からさらに階段を登ると、二の曲輪だった。
削平がきちんとされた、東西に長い曲輪だった。
ココも、南側の土塁が残っている。
高さ数十センチだったけど…😊
その奥、本曲輪は段で仕切られていた。
やはり南側を土塁で守られているが、ナゾの切れ目が…😮
見張台か何かだったのかもしれないが、背景が完全に空だったので高所恐怖症のワタシには踏み込めず、敬遠した😅
この城は西側が大手だろうという事だったが、確かに西側からも城道が入り込んでいる。
しかも、ちゃんとした坂虎口だった😮
さらに、城道は本曲輪の南西側に回り込んでいた。
ここに説明板が立っていた。
北条早雲こと伊勢新九郎盛時が攻め込んできた時、領主であった狩野道一の抵抗にあい、激戦が繰り広げられたらしい。
北条早雲はかつて一介の素浪人から身を起こしたと思われていたが、近年の研究で室町幕府の高級官僚から転じ、伊豆侵攻についても将軍家内部の対立と連動しての行動だったという見方が有力になっている。
伊勢新九郎盛時という名前も、最近明らかにされたのだというし。
その最新の研究成果を反映したんだろう説明板、イイね✨
そのすぐ下には、小さくて短いけどキレイな空堀✨
この空堀の奥には、これまた狭い段郭…
最後に、伊勢新九郎がこの城を攻めるときに北側から登ったというので、真似っ子のつもりで本曲輪北側の切岸に張り付いてみたんだが…
急すぎるワ🤣
しかも往時はこんな雑木林じゃなくて、土をツルツルに締め固めてたんだろうし…💦
これを数十メートルも登ってくるのは、体力的にムリやわ😮
ココを集団で登って城を攻め落としたと言うんだから…
やっぱり、城は守ろうとする側と攻めようとする側の力、知恵、意地とか、色んなものがぶつかり合う場所だった…
まさに兵どもが夢の跡…
★柏久保城
静岡県伊豆市柏久保
修善寺グラウンドの駐車場が利用可
山城
(2021年11月25日 記)