二の丸の西側にある西虎口の外側が住宅地になっているのを確かめたあと、二の丸の東側まで戻って北側の空堀を見に行くことにした。
土塁のすぐ外が空堀✨
曲輪の端っこを土塁で固めて、外に空堀っていう造りは、寄せ手が空堀から攻めて来る想定なんだろう。
本丸と二の丸は、その空堀に向けて虎口を開けているので、攻撃力の強力な寄せ手に空堀を占拠されると城内が分断されそうな…
高い土橋で結んでいれば、そうはならないか😂
そして袋曲輪
やっぱり曲輪全体の刈払いは厳しい…
袋曲輪の北側にも空堀が残っている。
少し進むと、完全なヤブになってしまった🥶
その1の冒頭、歴史民俗資料館の裏を走る空堀がそれらしい。
正面に伸びるこちらは、袋曲輪と外曲輪を仕切っていた。
本来の膳城は、遺構が残っている範囲よりかなり広大で、東西南北それぞれに本丸と同程度の曲輪があったらしい。
武田勝頼の素肌攻めのような戦国末期の大名同士の軍事衝突が、どんなものだったか垣間見えるようだ。
最後は本丸北側の空堀から退出し、山上城に向かった。
【完】
(2021年10月2日 記)