二の丸の西側にある西虎口の外側が住宅地になっているのを確かめたあと、二の丸の東側まで戻って北側の空堀を見に行くことにした。
 
二の丸の北側にはガッチリとした土塁が横たわっている。
夏が終わったばかりで、ココも🌿が旺盛😂
 
土塁のすぐ外が空堀✨
西の方と同じく、巨大😮
 
 
曲輪の端っこを土塁で固めて、外に空堀っていう造りは、寄せ手が空堀から攻めて来る想定なんだろう。
本丸と二の丸は、その空堀に向けて虎口を開けているので、攻撃力の強力な寄せ手に空堀を占拠されると城内が分断されそうな…
高い土橋で結んでいれば、そうはならないか😂
 
この空堀の東端に、袋曲輪との間を渡す土橋があった。
めっちゃ分かりづらいけど😅
 
そして袋曲輪
やっぱり曲輪全体の刈払いは厳しい…
 
袋曲輪の北側にも空堀が残っている。
本丸や二の丸の周りにめぐらされた空堀と比べると、だいぶ小さく、浅い。
 
少し進むと、完全なヤブになってしまった🥶
この空堀、もともとはこの辺りで北に分岐して、北郭と外曲輪を仕切っていた。
その1の冒頭、歴史民俗資料館の裏を走る空堀がそれらしい。
正面に伸びるこちらは、袋曲輪と外曲輪を仕切っていた。
 
本来の膳城は、遺構が残っている範囲よりかなり広大で、東西南北それぞれに本丸と同程度の曲輪があったらしい。
武田勝頼の素肌攻めのような戦国末期の大名同士の軍事衝突が、どんなものだったか垣間見えるようだ。
 
最後は本丸北側の空堀から退出し、山上城に向かった。
 
【完】
 
★膳城
前橋市粕川町膳
駐車場は歴史民俗資料館にあり
平山城
 
 
(2021年10月2日 記)