女淵城を一通り攻めた後、上毛電鉄線の北に出て、3km離れた膳城を目指した。
上杉謙信の後継争いに周囲の戦国大名まで介入した御館の乱の最中に発生した、武田勝頼の素肌攻めの舞台として、幕末の浮世絵師歌川芳虎により浮世絵にもなっている。
北関東でもなかなかの規模と技巧を誇る土の城らしい。
 
道中、赤城山も見えないドンヨリとした空で、わりと蒸し暑くもあったけど、真夏に比べればはるかにマシだわ😎
 
膳城の周りは道が細くて少々入り組んでいたが、map見ながら粕川歴史民俗資料館近くに到達。
そこで目にとまったのが、コレ😮
資料館の北西側を縁取っていたんだが…
どう見ても空堀だな✨
手前側は途切れているが、その先が城の中に入っている。
尚、このあたりに城への入口はなく、東か西へ回り込まないといけない。
 
東の道へ回り込んで少し南に歩くと、本丸まわりの遺構が見えてきた🤩
まずは本丸北辺の空堀✨
奥の方で横矢掛りになっているのがカッコイイ🥳
 
南側の本丸の向こうにも見事な空堀✨
 
奥に見える二の丸に登って振り返ると、ちょうど本丸南西のカーブが真ん前✨
 
そして、ここから北に折れて本丸―二の丸間に入る。
その真ん中あたり、本丸・二の丸への登り口がある場所から眺める北側の堀が、この城最高のビューポイントだろう。
 
何だこのポコポコ🤩
 
少し北で幅が広がり、右側からは横矢の張り出し、左側では大きく広がっている😮
ココを二の丸に登って眺めると…
ポコポコ感がより一層😮
 
そして本丸
ソフトボールするのにチョット狭いぐらいか…
 
二の丸は北側にゴツい土塁を持つ。
土塁というより細長い曲輪のようになっているか…
 
南側は整備の手が入っていないらしく、荒れている😮
そう言えば、本丸南側の空堀の反対側も、ヤブだったような…
 
二の丸を西から出ると、北側に巨大な空堀😮
 
その外側は、袋曲輪に通じる道になっている
このカーブがカッコイイんだワ🥳
 
立っている場所は幅広の土橋だった😮
寄せ手を渋滞させるためのものなので往時はもっと狭かった⁉🤔
となると、ホンモノは中に埋められているのか?
 
この後は、二の丸の東端から袋曲輪、その北側と見て回った。
 
(前橋市 膳城 その2に続く)
 
 
(2021年10月1日 記)