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根室半島から撤収するのが夕方になってしまい、この日の夜更けで早くも北海道遠征は折り返しとなってしまうが、位置ゲーで盗る城はまだ音威子府までの広範囲に散らばっているから急がなきゃ〜💨

…というわけで、さらに200km以上頑張って、網走の手前で泊まる事にした。とにかく隣の町までが遠い…


翌朝は早速網走の市街地にある桂ヶ岡チャシに入り込んだ。

桂ヶ岡公園の坂道を挟んで反対側に、まず石碑と説明板が立っている。

「桂ヶ岡砦阯」となっているのが古めかしいが、それ以上に驚くべきは末尾の

昭和十二年六月 文部省

だろう。
戦前に作られた説明板がそのままか😮
新調はされてるんだろうけど…


チャシの存在が文献に出てくるようになった17世紀頃はアイヌと和人の間で戦争が絶えなくて、和人からは砦と認識されることが多かったようだが、この説明板が立てられた当時もその認識を引きずっていたか…😮
この記事では、チャシは必ずしも砦にあらずとワタシが思っているので「桂ヶ岡チャシ」と呼ぶことにしよう。
尚、チャシの用途は今もって未解明らしい…

説明板の上にはかなりの急斜面が立ち上がっている。
ここはまだチャシではないようだ。

斜面の上には平場、そして奥にチャシらしい塚が立ち上がっているが、その裾にはちっこいながらキレイな空堀が走っていた✨


これは本州とかの山城でもよく見かける、空堀の表情をしている。
ただ、ジャンプすれば越えられそうな小ささで、外敵の侵入を阻むものだったかは、怪しいような…🤔

近くに入口らしいものは無さそうだが、斜面を壊さぬよう慎重に登る。

登った上が…
削平された曲輪みたいなところの奥に、さらに塚😮

反対側を見ると、平坦面の末端にチャシあるあるの竪穴らしいのがある😮
神居古潭チャシで見た竪穴住居跡と同じに見えたが…

さらに外側を見てみると、急斜面に土塁と竪堀のようなものが真っ直ぐ刻み込まれている。
これが正面の入口なのかな…?🤔

竪堀状のてっぺんは平坦面に虎口状を穿って入り込んでいる。
🌿🌿でちょっと分かりにくい…

中心の塚に近づく…
ここの裾もちゃんと空堀状が取り巻いている😮
内堀とでも呼びたくなるが、これも跨ぎ越えられるぐらいの小ささ…
でっかいアキタフキがいっぱい生えているなぁ😮

塚のてっぺんへの登り口らしきがあるが、これまた急斜面😮

登り切ると、平坦面はかなりの広さがあった。
山城の主郭と同じような感じで、木がなければ周囲を見渡せただろう。
近くを通る釧網本線の気動車も見える🚞💨

反対側に行って降りてみると…
こちらにも虎口らしいところから道が降りてきている…

そして、こちら側はそれだけでなかった。

裾の空堀を土橋で渡ってる🤩

このチャシでいちばんビックリした光景かもしれない✨
左から伸びている道が、中央の空堀を土橋で渡って、浅い竪堀状になって登ってゆく😮
チャシでこんなもの見たのは道央の鶴沼チャシ以来だ…
これ山城でしょっちゅう見かける構造だが、ミニチュアっぽいのが不思議…

こちら側も、裾はしっかり空堀で縁取られていた✨

チャシはここまでだったので撤収することにしたが、最後に見た光景が、また印象的だった…

森の向こうにチャシの盛り上がり…✨

(北海道遠征その5 陸別町 ユクエピラチャシに続く)

★桂ヶ岡チャシ
現地表記は桂ヶ岡砦
北海道網走市南9条東2
駐車場なし


(2021年9月5日 記)